蛇の目ミシン工業事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 13:52 UTC 版)
1990年(平成2年)後半に疑惑として表面化した恐喝事件(立件されなかったが特別背任にも近い)。 1987年(昭和62年)に小谷が地産グループのミヒロファイナンスなどからの融資金で蛇の目ミシン工業(現・ジャノメ。以下、蛇の目)の株を買占め(3100万株・約20%)筆頭株主となり、同社取締役に就任。ミヒロファイナンスから借入金返済を要求されたことで1989年(平成元年)4月から経営陣に株の高値買い取りを要求し、要求に応じなければ暴力団に売り渡すとして、ミヒロファイナンスの借入金と同額の960億円余りを要求する形で恐喝。蛇の目ミシンは恐喝をうけメインバンクで当時の社長の出身でもある埼玉銀行の東京本部(現:りそな銀行・埼玉りそな銀行東京営業部)に相談し、同年8月に担当の幹部行員が恐喝であることを知りながら、蛇の目の保証と同社本社屋の土地を抵当に取り、系列ノンバンクの首都圏リース(現存)が蛇の目の子会社 ジェーシーエルへの融資で資金供給する。そして光進出身の蛇の目の元副社長が設立した不動産会社ナナトミ(住専絡みで直後に倒産)が持つ土地をジェーシーエルが抵当に入れて296億7000万円を融資し(迂回融資)、小谷代表が窃取した。 また、株の買い戻しを狙い小谷の債務1875億円(ミヒロファイナンスからの約960億円を含む)を1989年(平成元年)6月から翌年6月頃にかけてジェーシーエルと蛇の目子会社のニューホームクレジットが、小谷の持つ蛇の目株を担保に取って肩代わりした。更に1990年(平成2年)にナナトミが小谷の保有する蛇の目株3,755万株を1株5千円(時価は2-4千円程度)で買い取る契約をしたとして、肩代わり時の担保不足分170億円を小谷が持つ国際航業株を担保に差し入れ、蛇の目から光進へ追加融資させ、蛇の目の損失を拡げた。 1991年(平成3年)2月に296億円の恐喝容疑で小谷が逮捕され(後に8億円で保釈)、2003年(平成15年)9月30日の最高裁判決(梶谷玄裁判長)で一審懲役7年が確定。また、小谷個人に対して株主代表訴訟が提起され、2001年3月29日の東京地裁判決で蛇の目に対して939億円の損害義務があるとする判決が出された。不正融資を行った埼玉銀行では逮捕者は出なかったが、1991年(平成3年)5月21日に発足間もない協和埼玉銀行初代頭取(埼銀出身)が引責辞任した。 ナナトミは譲受前に倒産したこともあり、ジェーシーエルとニューホームクレジットが光進への融資(又貸し)の担保として差し入れていた蛇の目株は旧埼玉銀行系列の大栄不動産へ譲渡され、蛇の目は光進への融資に使用したジェーシーエルを1992年(平成4年)に特別清算させるとともに資産売却などで経営再建を行って行くことになる。なお、小谷以外の蛇の目経営陣も特別背任罪などには問われなかったが、融資の判断による損失などについて株主代表訴訟を提起され、2008年(平成20年)に東京高等裁判所が当時の旧経営陣5人に対して583億6,000万円の賠償命令を下した。この賠償額は大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件の責任を巡る株主代表訴訟で大阪地裁判決で830億円の賠償命令後、二審の大阪高裁で2億5000万円で和解したものを大きく上回るものとなった。
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