著名人との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:22 UTC 版)
「ジェームズ・ディーン」の記事における「著名人との関係」の解説
デビュー作『エデンの東』のプレミア試写会では、マリリン・モンローが看板娘として華やかに公開されたが、ディーンはその会への出席を拒否していたため、伝説の二人のツーショットは実現しなかった。ディーンとモンローは、お互いに1950年代を席巻し、そして同じく風のように去っていった、空想上の伝説的カップルとして、アート作品やフェイク写真が多数製作されている(二人が会ったという記録は公式には存在しない)。 『理由なき反抗』で知り合い意気投合したデニス・ホッパーとは、短い間だったものの親友であった。また俳優時代のロナルド・レーガンとは共演経験があり、2010年にその映像が再発見された。 20世紀を代表する名優であるマーロン・ブランドやポール・ニューマンとも生前に親交があった。その親交を同性愛的で特別なものであったと伝える記事もある。 ディーンは映画『傷だらけの栄光』の主役に決まっていたが、急死したことで代わりにポール・ニューマンが演じることとなり、ディーンと後に大スターとなるスティーブ・マックイーンの共演は実現しなかった。 死の2年後に製作されたドキュメンタリー映画『ジェームズ・ディーン物語(英語版)』では、そのサウンドトラックをジャズトランペッターのチェット・ベイカーらが演奏し、パシフィック・ジャズ・レコードから正式に発売された。チェットは、そのよく似た容姿と物憂げな演奏や歌声から"ジャズ界のジェームズ・ディーン"と謳われ1950年代に同じく全盛期を迎えたが、奇しくも彼もまた後にディーンと同じく悲劇的な人生を送ることになった。なおチェットとディーンは、生前に2、3度会っており、親交があったと言われている。チェットのディスコグラフィの中でディーンを直接的に表現したものは前述のアルバムしかないものの、現在でも彼の演奏と歌声はディーンを形容する音楽性として認識されている。因みにディーン自身は、アフリカの民族音楽からバルトークやストラヴィンスキーといった近代クラシック音楽、フランク・シナトラといったジャズ/ポピュラー音楽に至るまで、様々なジャンルの音楽を好んでいたという。 エルヴィス・プレスリーは熱烈なJimmyファンであり、彼を目標に掲げ、『理由なき反抗』のセリフを全て暗記していた。また、エルヴィスの代表作『闇に響く声』は、元々はディーン主演で撮影が予定されていた映画であったが、彼の急死によって急遽エルヴィスが主役に抜擢されたという経緯があり、エルヴィスはこの作品で「役者として最良の演技をした」と評されている。そして彼もまた、後にディーンと同じく悲劇的な死を遂げたのは周知の通りである。なおディーンの存在はロックンロールの音楽性を大幅に発展させたとも言われており、彼が与えたその影響はプレスリーに留まらずエディ・コクランやジーン・ヴィンセントにまで及んだ。 勝新太郎は、父親が参加する1954年の「アヅマカブキ」のアメリカ巡業に三味線弾きとして同行した際に、現地で立ち寄った20世紀フォックス撮影所でディーンを紹介される。勝は、そのボサボサ頭にヨレヨレのシャツを着た彼の姿に衝撃を受け、これなら自分もスターになれるかもしれないと思い、俳優になることを決意した。 俳優のジェームズ・フランコは、容姿がディーンに似ていることから伝記映画『DEAN/ディーン』の主人公に抜擢され、ゴールデングローブ賞を受賞したが、この二人はファーストネームが同じ"James"であるのに加え、職業も同じ、UCLA中退という経歴まで同じの異様なシンクロぶりであった。
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