芦田内閣の発足とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 芦田内閣の発足の意味・解説 

芦田内閣の発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:04 UTC 版)

芦田均」の記事における「芦田内閣の発足」の解説

1948年3月芦田内閣発足した芦田内閣においては戦後日本基礎となる多く法律成立している。新憲法に基づく刑事訴訟法全面改正警察組織抜本改革旧警察法の制定)、国家行政組織法とそれに基づく中小企業庁石炭庁建設省海上保安庁水産庁経済調査庁といった各行政庁設置法教育委員会法日本学術会議法、警察官職務執行法行政代執行法地方財政法検察審査会法軽犯罪法風営法などがそれである。しかし、芦田自身総理大臣として対応したのはインフレ対策労働攻勢への対処であったGHQ中道芦田政権好意的で、これらの課題後押ししたが、政権脆弱な政権基盤野党自由党からの攻撃苦慮し続け、独自の政策打ち出す余裕乏しかった芦田当時誰が担当して連合国政策沿う以外はなかったと書いている。これは一面真理ではあるが、吉田茂首相同じく占領政策枠内ありながらマッカーサーや、しばしば米国政府とも直接渡り合って自らの政策実現尽力したような指導力持ち得なかったという事情も大きかった。 なお、前任片山社会党委員長でかつ熱心なクリスチャンありながら昭和天皇護持心を砕いたのに対し芦田は「新憲法になって以後余り陛下内政外交に御立入りになる如き印象与えることは、皇室のためにも、日本のためにも良いことではない」と、憲法に記載されている通り天皇元首としてではなくあくまで象徴として扱うことを心がけた。首相就任当時芦田は、これ以降閣僚内奏取り止める旨を奏上した。芦田自身外相時代天皇上奏をほとんど行わなかったため、鈴木一侍従次長が「陛下外交問題について御宸念遊ばしてゐる(中略)外務大臣内奏見えないのか(中略)見えるなら土曜日でもよろしい」と、当時岡崎勝男外務事務次官漏らしていた。それを聞いた芦田は「御上の思召」なら行くべきだと宮中参内した。

※この「芦田内閣の発足」の解説は、「芦田均」の解説の一部です。
「芦田内閣の発足」を含む「芦田均」の記事については、「芦田均」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「芦田内閣の発足」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芦田内閣の発足」の関連用語

1
4% |||||

芦田内閣の発足のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芦田内閣の発足のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの芦田均 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS