芦田均厚生大臣
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「芦田均厚生大臣」の解説
1946年2月19日 憲法論議第一日定例閣議が午前10時15分に開かれた。蒼ざめた松本烝治先生が発言を求めて、極めて重大な事件が起こったと言われた。松本さんは憲法改正案についてScap〔連合国軍最高司令官〕との交渉の顛末を詳しく報告したいと前提して大体次の通り話された。(略)先週の水曜日(13日)に外相官邸に於て先方の4名(Whitney,Hussey等)と会見した(吉田外相も同席して)。其席〔2・13会談のこと〕に於てWhitneyが発言して次の主旨を述べた。日本側の案は全然unacceptableである。依って別案をScapに於て作製した。この案は聯合国側でもMacArthurも承認した。尤もこの案〔GHQ草案〕を強制するといふには非ず。日本国民が真に要望する案なりと思ふ。MacArthurは日本天皇を支持するものであって、この案は天皇反対者から天皇のpersonを護る唯一の方法である。日本の憲法は左翼へ移行するのが良いのである。日本国民が政治意識を得るようになれば此案に到達するに違いない。日本はこれに依って初めて国際社会に進出することが出来るであろう(略)。 — 『芦田均日記』より 上記芦田日記に「天皇のperson」という記述がある。しかし、それは後年大問題となる松本手記の「之ナクシテハ天皇ノ身体(パーソン、オブ、ゼ、エンペラー)ノ保障ヲ為スコト能ハス」という趣旨の報告ではなく、逆に「天皇反対者から天皇のpersonを護る唯一の方法である」と記録されている。この記述は松本手記にはなく、白洲次郎の手記の第5項目から採っている。上記芦田日記の記述は、松本「二月十三日会見記略」と同様の内容も含むが、「白洲手記」そのものである。以下に「白洲手記」の全文を掲載する。 (一九四六年二月十三日付)一、日本政府案ハ全然「アクセプタブル」ノモノデナイ 二、司令部ニテ案ヲ作成セリ 本案ハ聯合国ニモ司令部ニモ「アクセプタブル」ノモノナリ 三、本案ハ強制的ニ押シ付ケルモノニアラズ 四、本案ハ日本国民ノ要望スルモノト信ズ 五、司令部ハ 天皇ヲ支持シ来タリ、本案ハ 天皇制ヲ支持シ 天皇反対者連中ヨリ 天皇ヲ護ル唯一ノ方法ナリ 六、日本ノ保守派ノ人々ハウント左ニ行クコトガ良イノダ 七、日本ノ国民ガ政治意識ヲ得テクレバコノ案ヲ必要トスル 八、本案ハ原則ヲ示シタモノデ、形式内容ニ変更ノ余地アリ 九、本案ニ依テ日本ガ国際間ニ進出スル手段トナル — 「白洲次郎手記」より 松本は、2・13会談の要点を閣議報告をするに当たり、自分より英語力が優れる白洲次郎の手記に頼ったものと推測される。
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