内政・外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 11:04 UTC 版)
「フィリップ2世 (フランス王)」の記事における「内政・外交」の解説
内政ではパリの道路の舗装、城壁の建設、市場の設立などの整備を行い、父王時から続いているノートルダム大聖堂の建設を続け、パリ大学の創立に協力した。また、王領内にバイイ(国王代官)の制を確立させて支配機構を一新し、司法における王室法廷への上訴の道をひらき、さらに都市(コミューン)を保護、育成し商業を振興させて官僚機構を整備して、コミューンを特殊な家臣「集合領主」として扱って、市民のフランス王国への帰属意識を高めさせた。 外交では神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家と同盟し、ハインリヒ6世の死後は弟のフィリップを支持した。1208年にフィリップが暗殺された後はハインリヒ6世の息子でフィリップの甥のフリードリヒ2世を支持し、オットー4世と対立した。十字軍には熱心でなく、ローマ教皇との関係はつかず離れずだった。
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