内政・党運営
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「コンスタンティン・チェルネンコ」の記事における「内政・党運営」の解説
チェルネンコは就任後、ブレジネフ時代後期の政策への回帰を表明した。しかし彼は同時に、技術・専門教育を重視する教育改革やプロパガンダ改革に着手したほか、アンドロポフ政権で導入された企業の自主性拡大の実験も対象を拡大させて継続した。更にチェルネンコが自らの政策として努力した形跡が窺われるのは、イデオロギー政策であり、規律強化・愛国心高揚・ブルジョア文化の排撃等のキャンペーンが展開され、また次の第27回党大会を目ざして、党綱領及び党規約の改正にも自らのイニシアティブを発揮した。 人事面では、アンドロポフが後継指名していたミハイル・ゴルバチョフを党ナンバー2たる第二書記に任命するなど、改革派への配慮も見せた。ゴルバチョフはチェルネンコの下でイデオロギー、農業、党組織及び経済計画の広範かつ重要な分野を管掌した。加えて、重要人事を断行する力はないと思われていたが、1984年9月6日にソ連軍の制服組トップで、党に対し批判がましい言動を繰り返していた参謀総長・ソ連邦元帥のニコライ・オガルコフを電撃的に解任し、後任の参謀総長にセルゲイ・アフロメーエフを任命し、世界を驚かせた。ただしオガルコフの解任については、チェルネンコの夏期休暇明け翌日の政治局会議で尚且つグリゴリー・ロマノフの海外出張中に決定されたという状況から、ゴルバチョフなどの非チェルネンコ派によるチェルネンコ人脈の切り崩しだという見方も存在する。 この他にアンドロポフ政権による綱紀粛正路線の継承を明らかにするため、汚職の廉で内相・党中央委員から解任されていたニコライ・シチョーロコフの軍階級剥奪に踏み切った。
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