内政・文化とは? わかりやすく解説

内政・文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 09:27 UTC 版)

大内政弘」の記事における「内政・文化」の解説

日明貿易博多商人連携し堺商人組んだ細川氏競合しつつ遣明船派遣した。また対朝貿易にも応仁の乱以降力を入れた。これらで得た莫大な利益軍費などに充てられた。また応仁の乱後領国経営にも意を注ぎ社会秩序確立努めた分国法として知られる大内家壁書多くはこの時期作られ始めたという。 和歌連歌好み家中にも広めた一条兼良正広宗祇三条西実隆多く歌人連歌師交流する荒廃した京から公家僧侶雪舟などの芸術家山口招き文化の興隆尽力した文明12年には宗祇招き連歌会を行なっている。さらに、私家集拾塵和歌集』を編纂自作の歌1100余首を残すとともに、准勅撰連歌集『新撰菟玖波集』も後援し、そのなかには自らの歌も多く撰ばれている。 大内文化代表的な庭園と言われる常栄寺庭園は、政弘が雪舟築庭させたと伝えられている。 当時知られ始めた能楽についても高い関心示し文明15年1483年)に猿楽座宝生大内氏館興行指導行った記録がある。 大内氏多く古典収集し出版筆写させた。大内版呼ばれるこれらの出版物のうち、政弘は法華経28巻や漢詩辞書聚分韻略』を出版している。 父・教弘の末期から引き続いて応仁の乱まで幕府との対立関係が続いていたが、その背景には瀬戸内海支配権日明貿易権益巡って激しく対立した細川氏京兆家との関係によるところが大きく足利将軍家反抗する意思はなかったとみられる。そのため、応仁の乱終結して細川氏との対立小康状態に入ると、政弘は積極的に幕府との関係再建努め京都から帰国の際には足利義政から北九州攻略認め御内書与えられている。

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