自己理論からの逸脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 19:18 UTC 版)
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「自己理論からの逸脱」の解説
ワーグナーの自著『わが生涯』によれば、1861年11月11日-13日、ヴェネツィアからウィーンへの帰途、「まだ台本の構想が頭に浮かぶかどうかという時点で、たちまちハ長調の前奏曲の主要部分がきわめて鮮やかに脳裏に浮かんだ」とされる。 しかし、前奏曲中の「ダヴィデ王の動機」(「組合の動機」とも)はマイスター旋律「ハインリヒ・ミュクリングの長い調べ」から採られており、この素材はウィーン帰着後のヴァーゲンザイル研究まで待たねばならない。したがってこのワーグナーの回想は、上記「ティツィアーノの聖母像」と同じく自己神話化の一環あるいは「音楽の精神からの喜劇の誕生」を強調する演出の可能性がある。 このころ、ワーグナーは『タンホイザー』のパリ上演の失敗、『トリスタンとイゾルデ』初演の度重なる延期などによって、自作が世に受け入れられず、経済的にも追いつめられていた。したがって、ワーグナーがパリからドレスデンの妻ミンナに宛てた手紙(1861年12月8日付)に、「まずは作曲でなく、韻文台本を作成するために、ピアノのない静かな小部屋で足りたのです。」と書き送っているのが真相に近く、直面していた経済的苦境を乗り切るため、一刻も早くショットに新作を提示したい気持ちから、音楽とは切り離して台本の完成を急いだものと見られる。 ワーグナーは自著『オペラとドラマ』(1851年)において、詩人は音楽家に従属し、台本を素材として提供するにすぎないとして従来のオペラを批判していた。これに対して「楽劇」では、人間の意識下に流れる「原旋律」を内にはらんだ詩人の「言葉」が作曲家の「音」に受精することによって旋律が産み落とされる、としており、(原)音楽→詩→音楽という循環論的生成プロセスを主張していた。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の制作過程は、ワーグナー自身の理論から逸脱していたのである。
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