台本の完成
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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「台本の完成」の解説
1861年末からワーグナーはパリのオテル・ヴォルテールに滞在し、翌1862年1月25日に韻文初稿(D)を書き上げる。1月31日に韻文初稿をマティルデ宛に送ったワーグナーは、翌日パリを発った。韻文初稿(D)を元にして完成したのが韻文浄書稿(E)であり、1862年9月29日にショット社に送られた。韻文浄書稿(E)を書き上げた時点では、第1幕冒頭のコラールがなく、発送までの間に書き加えられたものと見られる。1863年春までにショット社から印刷台本初版(F)が出版された。 マティルデのことを「完全に諦めた」はずのワーグナーだったが、この後も1863年までマティルデに作曲の進捗状況を逐一報告している。二人は手紙の中で互いに「私のマイスター(mein Meister)」、「わが子よ(mein Kind)」と呼び合っており、ワーグナーは自分とマティルデを作中の登場人物ザックスとエファに重ね合わせていた。しかし、1862年7月26日の手紙ではマティルデの夫オットーが作中でヴァルターを支援するポークナーのモデルであることをほのめかすなど、次第に恋愛感情よりも財政支援を求める気持ちに傾いていったようである。 1862年に成立した韻文浄書稿(E)では、ザックスがエファへの恋情を断ち切って諦念の境地に達するという筋書きが新たな要素として加わっており、ここにはマティルデとの恋愛体験を経たワーグナー自身の心境が反映されていると見られる。
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