台本を覚えてこないということ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:17 UTC 版)
「丹波哲郎」の記事における「台本を覚えてこないということ」の解説
丹波は台本を読まないことで知られ、この丹波の特異なスタイルのため、机の上や壁、共演者の背中あるいは小道具である手元のミカンにまでカンニングペーパーが準備されていた。『Gメン'75』の役の名前を覚えるのが面倒であると、大きなミカンに出演者の役柄の名前を書いていたが、蜜柑が食べられてしまったというエピソードもある、その回の犯人が誰なのかわかっていなかったり、違う回の台本を間違えて持ってきたこともたびたびあったという(谷隼人の談)。 上述『柳生一族の陰謀』の撮影の時にはちゃんと台本を持って来たが、その台本は郵送で届いたままでまだ未開封の状態だった。同作品の監督の深作欣二に「自分の台詞くらい家で覚えて来てよ」と言われると「俺は仕事を家に持ち込まない主義なんだよ」と返したという。 台本を読まずに本番に臨むことで知られていた丹波だが、本人は「記憶力はいい」「俺はきちんと頭に入ってるんだよ」「俺は覚える、と自分に自信がある」と言って本番ではスラスラ台詞が出て来ていたと述懐していたが、一方で「終わった途端に忘れちゃう」とも話しており、これを「一種の自己催眠だね」としている。またこのようなことを自ら「面白おかしい伝説的なジョークに近いもの」だとも話している。 仲代達矢によれば、台詞は「1ページ(の台本を)3秒で覚える。長い台詞は、ここで(ページを)めくるというのが頭に入ってる」自分独特の覚え方を話していたが、ある日台詞を間違えた時に「(台本)1枚めくるのを2枚めくっちゃった」と言われたという。 NHKの大河ドラマ『春日局』に出演した際には、数ページにも及んだ橋田壽賀子のセリフを見た丹波は、橋田が自分に挑んできたと考え、セリフを完璧に覚えきたという。 恵俊彰は『時空警察』で丹波と共演しているが、伝説そのままに、丹波が本当にセリフを覚えてこない事にびっくりしたが、それを感じさせない丹波独特のセリフの間合いの絶妙さに、感服したという。 初の外国映画作品となる「太陽にかける橋」(1961)に出演した際には、セリフ(日本語と英語)は「丸暗記だったね」と述べている。シドニー・ポラック監督の「ザ・ヤクザ」(1974)には高倉健演ずる主人公の義兄の田中五郎役で出演し、撮影が行われたが、高を括って一夜漬けで撮影に臨んだことと、当日の撮影が事前に知らされていたのとは別のシーンだったことなどでスラスラとセリフが出ず、撮影が中断。丹波は降板となり、「太陽にかける橋」で丹波の弟役だった日系アメリカ人俳優のジェームス・シゲタが急遽代役に立てられて来日し撮影された。ただ、撮影スケジュールが逼迫していたために当初より田中の登場シーンが少なくなっており、完成した作品を見た丹波は、あのくらいの台詞の量なら覚えてもよかった、と述べている。
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