台本作家の決定、トゥーランドットの提案
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「トゥーランドット」の記事における「台本作家の決定、トゥーランドットの提案」の解説
1919年も年末にさしかかる頃、プッチーニの新作の台本を担当するのはジュゼッペ・アダーミとレナート・シモーニの2人ということで固まってきた。台本作家2人の一方はストーリー展開やキャラクターの性格付けを立案、他方が歌詞文に磨きをかけるという分担は『ラ・ボエーム』でのジャコーザとイルリカのチーム以来、プッチーニの常套手段だった。 劇作家でありジャーナリストのアダーミとは前々作『つばめ』以来の共同関係である。シモーニはカルロ・ゴッツィの研究家としても知られる一方、ジョルダーノの『マダム・サン=ジェーヌ』(Madame Sans-Gêne)のオペラ台本作家でもあった。この2人が提案した題材には、例えばディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』(Oliver Twist)などもあったようだが、1920年の3月頃シモーニの示唆したゴッツィ作『トゥーランドット』がプッチーニの興味を惹くことになり、制作が開始された。ちょうどこの頃、同戯曲がマックス・ラインハルトの演出によってドイツで舞台化され、評判が高かったことも影響していると考えられる(プッチーニはドイツ贔屓で有名で、この舞台をベルリン滞在中に観たことがあった)。
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