脚本家から映画スターへとは? わかりやすく解説

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脚本家から映画スターへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 22:18 UTC 版)

横田豊秋」の記事における「脚本家から映画スターへ」の解説

1927年昭和2年)、松竹蒲田撮影所俳優森野五郎日活大将軍撮影所俳優だった片岡松燕それぞれ独立して設立したプロダクション合同製作で、『恋の四千両』を監督引き続き狂恋魔刃』を片岡松燕プロダクション監督するが、先に京都日活大将軍入社した山本頼って横田も同撮影所入った。同撮影所では書いた脚本映画化にまで至らず太秦への移転ともなって異動した1930年昭和5年)から、『怪盗夜叉王』をはじめとする映画化脚本を「宇留木浩」名で数本書く。当時の同撮影所長・池永浩久の命令俳優転向木藤茂監督の『彼女への飛来』に宇留木名義主演する以降専業俳優宇留木浩」となり、山本監督作にも出演した1934年昭和9年)の日活現代劇部の多摩川撮影所現在の東京都調布市角川大映スタジオ)への移転にともない多摩川異動になる。 1935年昭和10年)、前年東京・砧のP.C.L.映画製作所移った山本追い、宇留木山本監督をする夏目漱石原作映画坊つちやん』の主役試験合格、この1作で宇留木スターとなった以降同年中に山本成瀬巳喜男木村荘十二矢倉茂雄らの監督作に7本出演した。山本PCL入りした年に、妹の細川ちか子舞台女優から転身し同社入社しており、木村監督の『三色旗ビルディング』などで「兄妹共演」をしている。 1936年昭和11年)も5本に出演し同年8月21日には歌手藤山一郎主演矢倉監督の『大洋寵児』が「日本劇場」ほかで公開になった映画公開同日浅草の「花月劇場」で宇留木主演舞台版『坊つちゃん』が開幕になり、27日千秋楽迎えた終演後の夜、迎えに来た妻と浅草公園六区てんぷら屋での食事後、突然の狭心症倒れる。その夜明けぬ同年28日午前1時に死去33歳没。

※この「脚本家から映画スターへ」の解説は、「横田豊秋」の解説の一部です。
「脚本家から映画スターへ」を含む「横田豊秋」の記事については、「横田豊秋」の概要を参照ください。

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