老子の「道」
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「老子」も参照 老子は先秦時代の学者とされるが、その経歴については不明な点が多く、その思想を記した書である『老子道徳経』の成立時期もさまざまな説がある。道教は中国古来の宗教的な諸観念をもとに長い期間を経て醸成されたもので、一人の教祖によって始められたものではないから、老子が道教の教祖であるとはいえない。 しかし、『老子』に説かれる「道」の概念が道教思想の根本であることは確かである。道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」について説明がなされるのが通例である。 『老子』の冒頭には以下のようにある。 道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。 — 『老子』第一章 『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける。「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している。 『老子』に見られる「道」「徳」「柔」「無為」といった思想は、20世紀後半に発掘された馬王堆帛書や郭店楚簡から推測すると、戦国時代後期には知られていたと考えられる。「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、やがて老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった。一方、『老子道徳経』の政治思想は、古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えた黄老思想が成立した。前漢時代まで大きく広まり実際の政治にも影響を与えたが、武帝が儒教を国教とすると民間に深く浸透するようになった。その過程で老荘思想的原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まっていった。そして老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった。 道教においては、不老長生を得て「道」と合一することを理想とするが、その際には精神的な悟脱だけを問題とするのではなく、身体的な側面も極めて重視する。そのため、形而上の「道」の具体的な発現である「気」もクローズアップされるようになった。
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