美術における写生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:30 UTC 版)
「写生」の語は中国・唐代の末期において、先人の画を写しとる方法を指す伝統的な「臨画」に対し、現実の事物を観察しつつ描写する写実的傾向を表すために用いられていた言葉であった。この「写生」は、宋代には動植物など生き物を直接描写する言葉として使われ、以後中国ではもっぱら花鳥画の分野で用いられていた。 日本においては、事物をありのままに描く観察態度としての「写生」は鎌倉時代からすでに見られるものであった。江戸時代においては写生は本草学と結びつき、御用絵師であった狩野派の画家は幕府からの命を受けて動植物を写生(後述の「対看写生」)によってしばしば描いている。18世紀にはオランダ絵画の輸入に伴って円山応挙が写生を重んじ「写生派」と呼ばれた。一方、「写生」という言葉が日本においていつごろ使用されはじめたのかははっきりしない。日本で書かれている画論はほとんどが江戸時代以降のものであるが、それらの江戸時代の書物には「写生」の語が様々なニュアンスで用いられている。 河野元昭「江戸時代「写生」考」(1989年)によれば、江戸時代の画論における「写生」は概ね以下のような4つの意味を持ち、これらの意味が渾然となったまま用いられていたという。すなわち、生意(生きた感じ、生気)を把握し描写すること(「生意写生」)、客観的正確さを主眼として描くこと(「客観写生」)、精巧・細密な描写を行うこと(「精密写生」)、対象の観察と同時に描いていくこと(「対看写生」)である。 このうち現在の「スケッチ」に当たるものは「対看写生」であるが、江戸時代の画論ではっきりとこの意味で用いられている例はわずかである。またこのような複合的な「写生」の意味は中国においても同様に見られるもので、江戸時代の「写生」の用法は中国における用法の影響を受けていたものと考えられる。ただし日本では「写生」の語はより自由な使われ方をしており、花鳥画だけでなく山水画、人物画などにおいても用いられていた。 このような複合的な意味を持っていた「写生」は、明治時代になって「スケッチ」や「デッサン」という西洋絵画用語の訳語に当てられ、もっぱら「対象を観察しつつ書く」という上記の「対看写生」に近い意味でのみ用いられるようになる。大正時代には山本鼎らが、学童を手本の模写から解放し、直接自然に親しませるための自由画教育を提唱し、この普及に伴い、事物を実際に見ながら書いたり、戸外に出て風景を写しとったりする「写生」が図画教育に盛んに取り入れられることとなった。
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