美術における塩尻峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/22 14:55 UTC 版)
浮世絵師の歌川広重は、没後の安政6年(1859年)6月に刊行された連作『冨士山十六景』の一枚「信濃塩尻峠」において峠越しに見える諏訪湖と、その彼方に見える富士山を描いている。『冨士三十六景』には同様の構図の「甲斐御坂峠」があり、こちらは御坂峠から見える河口湖と冨士を描いている。 また、渓斎英泉の『木曽街道六十九次』の三十一 「木曽街道塩尻峠諏訪ノ湖水眺望」では、結氷して御神渡りの兆候が見られる諏訪湖の氷上を歩く人々と、対岸の“浮城”高島城、遠景に八ヶ岳と富士山を描いている。実際の景色に忠実な構図であるため、観光地図や地元資料などで現在の写真と並べて掲示されることが多く、広重作品よりもこちらの方が知られている。
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