終戦時の所属部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 14:48 UTC 版)
第17軍: 第36軍:司令官アレクサンドル・ルチンスキー 第39軍:1945年6月20日編成。 第53軍:1945年7月1日編成。 第6親衛戦車軍:司令官アンドレイ・クラフチェンコ大将。1945年7月1日編成。 第12航空軍:1942年8月1日編成。 騎兵・機械化群:司令官イッサ・プリーエフ。1945年7月5日編成。ソビエト・モンゴル合同部隊。 軍事会議議員: コンスタンチン・ジミン(ロシア語版)軍団委員(1941年9月~1944年7月) コンスタンチン・ソロキン(ロシア語版)少将(1944年7月~1945年7月) アレクサンドル・チェフチェンコフ(ロシア語版)中将(1945年7月~10月) 参謀長 エフィム・トロツェンコ(ロシア語版、英語版)中将(1941年9月~1945年7月) マトヴェイ・ザハロフ上級大将(1945年7月~10月)
※この「終戦時の所属部隊」の解説は、「ザバイカル戦線」の解説の一部です。
「終戦時の所属部隊」を含む「ザバイカル戦線」の記事については、「ザバイカル戦線」の概要を参照ください。
終戦時の所属部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 09:35 UTC 版)
「高射砲第134連隊」の記事における「終戦時の所属部隊」の解説
高射砲隊 第1中隊 稲佐山 約200名(昭和20年5月以降転出、跡地には木製の偽砲を設置) 第2中隊 星取山 約200名(昭和20年5月以降転出) 第3中隊 香焼島 約200名(昭和20年5月以降転出) 第4中隊 金比羅山 約300名中隊本部 砲班第1分隊 八八式七糎野戦高射砲1門 15~16名(分隊長、方向手:1~3番砲手、高度手:4~6番砲手、航路角手:7番砲手、弾込め:8番砲手、りゅう条:9番砲手、信管切り:10番砲手、弾運び:11~12番砲手、弾薬庫弾薬運搬手:2~3名) 第2分隊~第6分隊 第1分隊と同じ構成 観測班 15名 通信班 15名 電波探知機班 9名 炊事班 15名 教育隊 50名以上 その他 糧秣班など 第5中隊 小榊 約200名 第6中隊 神ノ島 約200名 独立小隊 中ノ島 約70名 ※「高射砲第134連隊戦闘指導計画の概要」では、星取山を独立小隊としている 照空隊 第7中隊中隊本部 香焼島 第1小隊 第1分隊 伊王島 16名 第2分隊 香焼島粟之浦 16名 第3分隊 深堀 16名 第4分隊 神ノ島 16名 第2小隊第5分隊 香焼島 100名(中隊本部と合わせて) 第6分隊 土井首 16名 第7分隊 三菱造船所上 16名 電波探知第1小隊 伊王島 10名 電波探知第2小隊 土井首 10名 ※「高射砲第134連隊戦闘指導計画の概要」では、伊王島、神ノ島、星取山に電測小隊3個小隊があることになっている。 第8中隊中隊本部 唐八景第1分隊 蓑尾 16名 第2分隊 唐八景 84名(中隊本部と合わせて) 第3分隊 風頭山 16名 第4分隊 金比羅山 21名 第5分隊 油木町(札の辻) 21名 第6分隊 稲佐山 21名 第7分隊 中ノ島 21名 第8分隊 土井首 21名 第9中隊(詳細不明なものの、昭和20年4月に香焼島安保に配備された九九式八糎高射砲を6門持つ高射砲中隊と思われる)
※この「終戦時の所属部隊」の解説は、「高射砲第134連隊」の解説の一部です。
「終戦時の所属部隊」を含む「高射砲第134連隊」の記事については、「高射砲第134連隊」の概要を参照ください。
- 終戦時の所属部隊のページへのリンク