終戦時の報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:03 UTC 版)
ソ連軍の侵攻後も発刊停止まで取材を行い、樺太の終戦史において貴重な資料を残した。国書刊行会刊「望郷樺太」、講談社刊「樺太1945年夏」(金子俊男著)に記事の一部が掲載されている。 1945年8月16日付1面見出し(以下同じ) 「畏し、休戦の大詔渙発さる」(終戦ではなく休戦としたところにソ連軍との戦争継続中の樺太の実情が分かる) 8月22日付、「知取にて日ソ両軍の停戦協定成立」 8月23日付、「南下のソ聯戦車隊、23、4日中に豊原地区に進駐。心配は無用、生業に励め」(停戦協定成立後に、豊原市はソ連軍の空襲を受け、残された市民の不安を払拭しようという報道を行なっていた。) 8月25日付 「豊原市に歴史的ソ聯軍の進駐を迎えて2日目」(ソ連軍によって没収され現存していない。)
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