米軍ジープによる突然の事故死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:32 UTC 版)
「三遊亭歌笑」の記事における「米軍ジープによる突然の事故死」の解説
人気絶頂時の1950年、雑誌「夫婦生活」の大宅壮一との対談が終わり帰る途中、夕暮れの銀座松坂屋前の路上横断中、アメリカ軍のジープに轢かれて事故死。 先天性弱視が災いしたといわれる。享年32。真打としてはわずか2年半に終わった。人気者歌笑の突然の交通事故死に坂口安吾が中央公論の中で「"歌笑"文化」の一文を寄せる。 また、人気絶頂の最中の突然の死であったため、多くの予定スケジュールが残された。この時穴埋めの代演としてフル回転することになったのがライバルであり親友でもあった四代目柳亭痴楽で、痴楽は「歌笑純情詩集」のテイストを折り込んだ新作落語「痴楽綴方狂室」をかけ、これで名を売って行くことになる。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}師匠の円歌は歌笑の事故死当日、巡業先の和歌山県で仕事をしていた。一緒に来ていた三代目江戸家猫八が当時の人気者歌笑の物真似をするのをたまたま客席にまわって観ていた円歌には、声だけでなく表情や仕草までもがまるで歌笑の生き写しのように見えたという。翌日、円歌は移動先の奈良の旅館で歌笑の死を知らされたが、まさに歌笑が車に轢かれた時刻に猫八は舞台で演じていたのだった。そのことを知らされた時の円歌を見ていた浪曲師の相模太郎は、人の顔色がこれほどまでに激変するものなのかと思ったそうである。心から念仏を唱えたと、円歌は後に高座で語っている。[要出典] また、立川談志の少年期に影響を与えた一人とされており、歌笑の急逝を知った談志は生まれて初めて他人のために涙を流したという。『談志絶倒昭和落語家伝』によれば、昔々亭桃太郎の復員を聞いて、実力者の帰国に恐れていたという。 墓所は荒川浄閑寺にあり記念の塚(揮毫は武者小路実篤)が建立されている。生まれ故郷の五日市にも碑がある。 渥美清が映画(「おかしな奴」1963年)とTVドラマ(「おもろい夫婦」1966年10月6日-翌年3月30日)で歌笑を演じている。 近年は風間杜夫が昭和の爆笑王ドラマスペシャル「林家三平ものがたり おかしな夫婦でどうもすいませーん!」(テレビ東京・国際放映、2006年8月20日)の中で歌笑を演じた。
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