米軍の立て直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 18:19 UTC 版)
「ブラックヒルズ戦争」の記事における「米軍の立て直し」の解説
リトルビッグホーンでカスター隊が全滅した後、ウィリアム・シャーマン将軍は「女だろうと子供だろうと、野蛮なスー族は一人残らず皆殺しにしろ」と全軍に命令し、これを受けた米軍は戦術の立て直しを行った。各砦のインディアン管理所の駐屯部隊を増員し、その秋には大半を米軍の配下に置いた。砦のそばにいる、白人に友好的なインディアンのバンドからは、交戦派のバンドに渡らないよう馬や武器が押収された。1876年10月、米軍はレッド・クラウドやレッド・リーフのいる野営地を包囲し、「指導者(と白人が思っている者)達」は逮捕されて短期間拘留された。白人は、インディアンの「指導者」達に、交戦派のインディアンたちを、彼らの野営地に迎え入れたり匿ったりしないよう命令した。 上述したように、インディアンには「指導者」などいないのだが、白人たちはあくまでも「指導者」だと思い込んでいるインディアン個人にこうした要求を行っている。もちろんレッド・クラウドやレッド・リーフは、白人が勝手に「指導者」だと思い込んでいるだけで、そのようなものはインディアン社会には存在しない。 なにはともあれ、のちに和平委員が各管理所に送られて、スー族に「ブラックヒルズを譲渡する」という内容の新しい条約が調印された際には、レッド・クラウドやスポッテッド・テイルら、スー族から「裏切り者」、「白人の回し者」呼ばわりされている部族員が署名した。この署名とは、文字を持たないインディアンに「×印を書かせる」というものである。彼らはスー族の長老会議に属していないし、何の代表権もないが、白人側は署名を得たのでこの条約は成立したものと白人の理屈で考えたのである。 「リトルビッグホーンの戦い」の後の部隊増派の一環としてラナルド・S・マッケンジー大佐とその第4騎兵隊がプラット方面軍に転属となった。この部隊は当初ロビンソン基地に駐屯し、北部方面のインディアン集落探索隊の中核となった。11月25日、この部隊はワイオミング準州でシャイアン族の大集落を襲って「ダルナイフの戦い」と呼ばれる虐殺を行い、合衆国はこの後、シャイアン族をインディアン準州(オクラホマ)の保留地へと強制連行した。これをきっかけに、シャイアン族は北部と南部の二部族に引き裂かれることとなってしまった。
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