米軍上陸時のガマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:59 UTC 版)
1945年4月1日、読谷村に米軍が上陸し、読谷村を爆撃、破壊した。村民は、1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)以来、爆撃を受けるたびにガマへ逃げ込んでいた。上陸前の連日の爆撃は、朝8時頃から始まり夕方5時頃には収まっていたが、上陸を間近に控えた3月23日から上陸前日の3月31日までの爆撃は昼夜通しで行われた。シムクガマは1200メートル内陸に入った場所にあり、4月1日午前9時半(遅くても10時頃)には、米軍がチビチリガマへ到着して通過した後、まもなくシムクガマへ到達した。シムクガマには、警防団の本部が設置されていた。団長は銃を持つ元日本兵で、団員は13〜15歳までの少年で構成されていた。
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