管理・所有
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 05:47 UTC 版)
江戸期の里山は国家(将軍家や藩)が所有し、民間の利用を認めないもの(御建山などと呼ばれる)、土地は民間所有(入会地形態)であっても木材は国家所有で、伐採には国家の許可が必要なもの(御留山や御用木と呼ばれる)、土地も木材も民間所有(入会地形態)で木材伐採にも官許の不要なもの、個人所有のもの、寺社に用いられるものなど多様であった。このうち御留山を民間の材木商や村が伐採する場合には、藩に現銀による対価を支払わねばならなかった。また、民間所有の里山であっても国家に税金(山年貢などと呼ばれる)を支払うことが多かった。 前述のように、近世、特に石炭が燃料として普及する以前の日本列島における里山の負荷は一貫して高く、村落共同体は里山の植生崩壊を防止するために様々な規則を定めて対応した。これらの規則は「村掟」「村定」「村規則」などと呼ばれ、里山を入会地として持つ村のほとんどが、この種の規則を文書として備えていた。村掟によって定められる里山の利用規則は極めて詳細かつ厳密であった。例えば、肥料用の草は刈り取ってもよい量が家ごとに決められていることも珍しくなかったし、刈り取ってもよい時期が厳密に設定されている(「口開け」と呼ばれる)ことが多かった。村掟を破った者への制裁が予め決められており、多くは米や銀による科料の支払いと盗伐分の返還が科されていた。また、これらの他に労働奉仕も科される例や、盗伐者が科料を払えない場合の五人組による連帯責任による科料支払いが決められている例もある。 特に住民の数に対して利用可能な里山が少ない地域では、里山の管理は厳重なものであり、許可されていない場合は草を一掴み刈り取ったり、木の枝を一本折るだけでも罰せられる場合すらあった。夜間の盗伐を防ぐために持ち回りで里山の夜番をしていた村もあったほどである。これほど厳重な管理をしても里山の盗伐は頻発し、また、村々入会の里山では、里山を巡っての村と村の間での対立も続出した(山論と呼ばれる)。 明治期以降、里山は国有林となるか、あるいは細切れに分割されて個人所有となる、自治体に所有されるといった所有形態に移行した。このうち都市に隣接する地域の里山の多くはデベロッパーに転売されて、宅地やゴルフ場などのレクリエーション施設へと変貌していった。 現在の里山が抱えている問題の一つに、税負担の問題がある。山林の固定資産税そのものは宅地や農地に較べて安価に設定されているが、代替わりの際に発生する相続税では、山林の評価額は近隣の宅地の評価額から造成費を引いたものになる。しかし、実際に所有者がその価格で売却しようとしても、デベロッパーには足元を見られて買い叩かれるか、場合によっては買い手が付かないため、所有者は平地に持っている農地などを切り売りして資産価値のない山林を持ち続ける(その余力もない場合は相続税を支払えず破産する羽目に陥る)しかないのである。
※この「管理・所有」の解説は、「里山」の解説の一部です。
「管理・所有」を含む「里山」の記事については、「里山」の概要を参照ください。
「管理・所有」に関係したコラム
-
FX(外国為替証拠金取引)ではさまざまなリスクが伴います。リスクを最小限に抑えるにはリスク管理が必要です。ここでは、FXのリスクとリスク管理の方法を一覧で紹介します。▼ロスカットによるリスク所有してい...
- 管理・所有のページへのリンク