筆触表現と色彩分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)
「クロード・モネ」の記事における「筆触表現と色彩分割」の解説
モネの『ラ・グルヌイエール』(1869年、前掲=上)とルノワールの『ラ・グルヌイエール』(同年)。 モネは、自然の中では、雲が太陽を遮ったり、風が水面を揺らしたりするたびに、物(モチーフ)の見え方が刻々と変化することに注目した。そのような中で、これぞという局面をとらえようとすれば、それまでの画家のように、絵具を混ぜて調合したり、茶色の地塗りの上に何層も重ね塗りをしたりしている余裕はなく、素早い筆さばきで絵具を直接キャンバスに置いていくことになった。細部よりも、全体の効果に気を遣うことになった。生乾きの絵具の上に絵具を塗り重ねるため(ウェット・オン・ウェット(英語版))、絵筆の先で絵具が混ざり、筆触(タッチ)が生々しく残ることになる。それが制作の過程の臨場感や新鮮さをもたらしている。すなわち、絵肌(マチエール)自体が、画家の手の動きを伝える。しかし、凝った構図、写実的なデッサン、なめらかな仕上げの細部を重視するアカデミズム絵画から見れば、稚拙で未完成なものと受け取られ、嘲笑の理由となった。 絵具をパレットで混ぜないことは、色の明度を落とさないためにも必要なことであった。ある色を作り出すために複数の絵具を混ぜると、色の明度が落ちて画面が暗くなり、戸外の光の明るさを表現することができなくなってしまう。これに対し、原色の絵具をできるだけ混ぜず、限られた色数だけで、細かな筆触(タッチ)をキャンバスに並べると、見る者の視覚の中で色が混ざり(視覚混合)、明度も落ちない。こうした手法は、モネがルノワールとともに『ラ・グルヌイエール』を描いたころから確立していったものである。筆触分割または色彩分割と呼ばれる手法であり、のちに新印象派の画家たちがこれを科学理論に基づいて体系化することになったが、印象派の画家たちは感覚に基づいてこれを用いた。その結果、印象派の画面は、バルビゾン派、クールベ、マネといった先人の画面と比べ、格段に明るく輝かしいものとなった。同時に輪郭線は思い切ってぼかす方向に進んだ。絵を間近から見るだけでは、いい加減な混乱した筆の跡しか見えないが、2、3メートル離れて見ると、突然画面が息づいて見えてくるのであり、これは印象派の画家たちが発見した新たな視覚体験であった。 当時、これを理解できなかったルイ・ルロワは、モネの『キャピュシーヌ大通り』に黒い点で描かれた群衆を見て、「画面の下の方の、まるで黒いよだれのような、あの無数の縦長のものは一体何なのだ」と嘲笑したが、エルネスト・シェノー(フランス語版)は、「埃と光の中のおびただしい数の群衆の動き、道路の上の馬車と人々の雑踏、大通りの木々の揺れ、つまりとらえがたいもの、移ろいやすいもの、すなわち運動の瞬間なるものが、その流れ去る性質のままに描き留められた」ものだとして、モネの意図を捉えた。その視覚体験の前では、威厳のある主題とか、バランスのとれた構図とか、正確なデッサンといった古い概念は、もはや何の意味も持たなかった。
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