筆記と文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
巻書をわれより人はつくり、文したたむる書記たちも、文書とはたまた証書とを、われが上にぞ書きつくる - 『アスールの木』より、山羊と棕梠の木の言い争い。伊藤義教訳 パルティア人たちが羊皮紙に文字を綴ったことは『史記』「大宛列伝」に記録されている。『史記』は、パルティア人が記録を取る時、「切った革に水平に書く」こと、即ち羊皮紙を使用していることを述べており、この記録は上述した羊皮紙文書の発見によって裏付けられている。パルティアにおける羊皮紙の使用については、『アスールの木(Draxt Asūrīg)』と呼ばれるパルティア語の文学作品からも窺い知ることができる。この作品の中では山羊とアスールの木(棕梠の木)が、どちらの方が人に役立っているかを言い争うが、その中で山羊は自分の皮が紙として使用されることを自慢している。パルティア語で「文書」を意味するdaftarという語は、ギリシア語で「皮」を意味するdiphtherāの借用から来ている。 パルティア時代の間、宮廷の吟遊詩人(ゴーサーン、gōsān)は音楽を伴った口承文学を詠んでいたことが知られている。しかしながら、これらの詩の形で作られた物語は、後のサーサーン朝時代まで書き留められることはなかった。事実として、サーサーン朝時代に書き留められる以前のオリジナルの形で残存するパルティア語の文学は知られていない。ロマンティックな物語『ヴィースとラーミーン』や、カヤーン朝(英語版)の叙事詩のシリーズは、パルティア時代の口承文学の一部であり、はるか後の時代にまとめられている。パルティア語の文学は文書の形態になっていなかったが、アルサケス朝がギリシア文学に価値を認め、それを重んじていた証拠がある。
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