第27~30王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
第27王朝はペルシア支配の時代であり、エジプト人は大いに反発した。この原因として、今までのヌビア人などの外国人支配者たちはすべて「エジプト化」したのに対して、ペルシアはアラム語を広め、エジプト文化を尊重しなかったので国民の自尊心・愛国心を傷つけた。そのため、120年余りの支配で反乱が多発している。 前404年、ダレイオス2世が死去するとそれに乗じてエジプト人アミュルタイオス(エジプト語:アメンイルディスウ)が王を名乗る(第28王朝)が、数年のうちにメンデス・第29王朝のネフェリテス1世(エジプト語:ナアイエフアアウルジュ1世)に処刑されてしまう。彼は王位を正当化するために架空の祖先・家系を作り出し、記録したのであった。 しかし第29王朝も、前380年に将軍ネクタネボ1世(エジプト語:ナクトネブエフ)がクーデターを起こしたため、20年未満で倒れる。ネクタネボ1世は、同じくクーデターを起こし政権を奪取した中王国のアメンエムハト1世とは違い、むしろ武力によるクーデターを誇った。この背景には、外国人侵攻の危機にさらされていたエジプトでは、すでに武力を持つ者を王として認めざるを得ない状況であったと考えられている。 加えて、ネクタネボ1世はエジプト風の即位名(ケペルカラー)を名乗り、エジプト国内で建築事業を盛んに行い、人々に経済的安定をもたらした。彼は、伝統的な信仰を盛んにし、国民の愛国心に訴える方法で支持を得たのである。しかしながら1代後のネクタネボ2世(エジプト語:ナクトホルヘビィト)の時代、前343年に再びペルシアのアルタクセルクセス3世に支配されてしまうことで、エジプトで2500年以上続いた王朝時代は終焉を迎えたのであった。 第30王朝以降、エジプトは将校団を率いたナセルが1952年に開放するまで、実に2300年もの間、外国人に支配されることとなる。この2度目のペルシア支配(第31王朝とも)は短く、アルゲアス朝のアレクサンドロス大王が征服し、大王の将軍の一人プトレマイオス1世が即位。プトレマイオス朝が300年ほど統治し、クレオパトラ7世の崩御に伴い、エジプトはローマの属州として編入さるのであった。
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