第11回大会〜第13回大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:32 UTC 版)
「竹田敏浩」の記事における「第11回大会〜第13回大会」の解説
第11回は、1st、2ndを危なげなく突破。3rdボディプロップに進出したものの、残り僅かというところで右手が滑ったのかバランスを崩し突然の落下。実況者、本人共に驚きを隠せない結果となる。 4月12日に『体育王国』内で放送されたモンキーバーズのリニューアル初日に参加。95.6mという記録を残し、これはモンキーバーズ最高記録となっている。これが影響したのかは定かではないが、放送の約1ヶ月後である5月に右肩を疲労骨折した。 満身創痍の中での第12回は1stを危なげなく突破し、10.81秒を残した。3rd最終エリア・パイプスライダーまで到達したものの、右肩の骨折が影響したのか、着地で距離が足りずに落下。自ら沼地から這い上がることすら出来ない状態になっており、奇しくもレスキュー隊に救助される格好となった。 出場権獲得を争うSASUKEトライアルでは暫定1位だった小林正明の記録を2ヶ月ぶりに破る28.82秒残しという驚異的な記録を残し、SASUKEトライアル1位となる。 この成績を引っさげての出場となった第13回は1stを12.92秒残しでクリア。3rdクリフハンガーまで進出し、下り段差を何とか耐えたものの、着地地点前で落下した。
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第11回大会〜第13回大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:05 UTC 版)
「長野誠」の記事における「第11回大会〜第13回大会」の解説
第11回は前回リタイアしたジャンプハングをやや体勢を崩しながらも突破し、その勢いのまま1stをクリア。2ndも制限時間に余裕を残して無難にクリア。3rdパイプスライダーを両足着地で成功させ、初のFINAL進出を果たす。FINALでは、スパイダークライムから綱への移行で約4秒ほど手間取ってしまったことが原因となり残り約3mのところでタイムアップ。その後のインタビューでスタッフから「(家族が反対している)SASUKE挑戦を続けるのか?」と聞かれ「そこが分からないんです」と答えた(ゼッケン96)。 第12回は初のゼッケン100番となった。ゼッケン95番から5人連続1stクリアという状況の中、1stを15.82秒残しの最速タイムで突破。2ndも14.6秒残しの最速で突破し、1st、2nd同時最速タイムを達成。3rdも突破し、再びFINALに進出。FINALではタイムアップギリギリの所でボタンを押したものの、わずか0秒11の差で完全制覇を逃す(これについて長野は後のインタビューで「ボタンを押す直前に風でロープが揺られたことが原因です」と語っている)。タイムアップギリギリであったためスタート地点に戻されることはなく、この時に初めてファイナルの頂上へ登った。放送ではエンディング直前、カメラスタッフから「下(ファイナル頂上からのみ眺められる景色)、見ますか?」と質問され、長野は「見ません。また、いつか来た時に」と語り、上からの景色を見下ろすことなく、その場を後にした。今大会の完全制覇を逃したシーンは『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」の第7位に選出されている。なお、第1回から実況を務めてきた古舘伊知郎がこの回を持って降板。そのため、今大会での長野のFINALが古館の最後のSASUKE実況となった。 第13回大会前に行われたSASUKEトライアルに参加。1回目の挑戦はターザンロープからロープクライムへの移行で滑り落ちリタイア。落下した際の残り時間は約33秒であった。2回目の挑戦で26.55秒という第2位のタイム(1位は竹田敏浩の28.82秒)を叩き出した。 大会前には「第28金比羅丸」船長となった。 第13回もゼッケン100番で登場。1stを29.03秒残し、2ndを18.77秒残し、SASUKE史上初の2大会連続の1st、2nd同時最速タイムを達成。3rdパイプスライダーも両足着地を成功させ、3大会連続のFINAL進出。ボタンに手が伸びたものの、またしてもタイムアップ。
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