第1次声優ブームとは? わかりやすく解説

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第1次声優ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:30 UTC 版)

声優」の記事における「第1次声優ブーム」の解説

民放テレビ草創期には、1961年昭和36年)の五社協定テレビ局への日本映画供給停止決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマ洋画などのいわゆる外画日本語吹き替え版数多く放送された。当初NHK基本的に字幕スーパー日本国外の作品放送していたため、日本語吹き替え版民放中心となっていた。以後日本国外の作品1960年代前半ピークとして放送された。これらを背景として声優人気高まっていったという。ブーム中心人物アラン・ドロン持ち役とした野沢那智で、追っかけまでいたという。 テレビや映画俳優五社協定ギャラ問題吹き替えをしなかったため、テレビで吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者新劇舞台役者多く行った放送劇団出身若山弦蔵当時吹き替え参入してきた新劇俳優について、「大部分連中にとっては片手間仕事でしかなかった」「日本語として不自然な台詞でも疑問持たず台本どおりにしか喋らない連中多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている。また、この時期には役者論、演技としてのアテレコ論争展開されている。海外アニメにおいては落語家浅草出身コメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。 労働環境待遇恵まれていなかったことから権利上のために結束しようという動きがあり、久松保夫清水昭太平洋テレビジョン参加する同社労働争議発生。これを受けて東京俳優生活協同組合俳協)が誕生したが、前述若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた。のちに俳協から分かれて多く声優プロダクション結成された。この時代にはまだ声優という言葉一般に認知されておらず、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、声をあてることからアテ師 というものがあった。 テレビ日本語吹き替え作品第1号TBS前身であるKRTテレビ1955年昭和30年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる実写では1956年昭和31年)にTBS前身であるKRTテレビ放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれ生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年昭和31年4月8日日本テレビが、番町スタジオ安井治兵衛依頼して放送した海外アニメテレビ坊やの冒険』である。 1966年昭和41年)に『土曜洋画劇場』(現・『日曜洋画劇場』)の放送始まり、この番組によってスターの声を特定の声優固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった

※この「第1次声優ブーム」の解説は、「声優」の解説の一部です。
「第1次声優ブーム」を含む「声優」の記事については、「声優」の概要を参照ください。

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