第1次大戦、十月革命、内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「第1次大戦、十月革命、内戦」の解説
1914年から始まった第1次世界大戦では、ロシアの敗色が濃厚で、動員された将兵は1430万人、死傷者は500万人以上である。1917年になると輸送網が麻痺して、前線や都市住民の食糧の確保も難しくなっていた。二月革命の発端はユリウス暦 2月23日(現3月8日)、ペトログラードでの「パンをよこせ」デモであった。ボリシェヴィキ(1918年よりロシア共産党)は、1917年の十月革命により政権を奪取したが、農村に支持基盤がなかった。農民はむしろエスエルを支持していた。十月革命時に、全ロシア・ソヴィエト大会が「土地に関する布告」を発した。これは従来の農村共同体(ミール)を通じて農民に土地を与える内容であった。この政策によって、農民層にボリシェヴィキへの支持が広がる可能性が出てきた。1918年3月、ブレスト=リトフスク条約によって、第1次世界大戦が終結した。1918年5月には、チェコスロヴァキア軍団がロシアとドイツの講和にともない、ロシア共和国内を通過の際、反乱を起こした。ロシア国内で、さまざまな勢力が衝突する、内戦が始まった。
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