第二次西武時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:18 UTC 版)
2019年12月3日、古巣の埼玉西武ライオンズから獲得が発表された。14年ぶりの復帰で、背番号は16に決まった。 2020年はCOVID-19の感染拡大により、シーズン開幕が遅れる中、6月7日に中日との練習試合に登板して1回を無失点に抑えたが、最終的に開幕一軍メンバーから外れた。7月5日に首の痛みと右手のしびれ対策のため、脊椎内視鏡頸椎手術を受けたと発表した。この年は一度も試合に出場しなかった。 2021年も右手のしびれの影響から一軍、二軍とも実戦登板がないまま7月7日にシーズン限りでの現役引退を発表した。大久保博元によると、脊椎の状態は眩暈がして歩くのにも難儀するほどであったといい「あの野球好きで恩返しをしようとしている松坂大輔が自分からサボる、甘えるってのは100%無いんでね」ともはや練習すらままならない状況であったことを説明していた。 10月19日に予定されている対北海道日本ハムファイターズとの引退試合で背番号18を着用して登板し、本拠地メットライフドームでの北海道日本ハムファイターズ戦で引退試合が行うことが決定し、10月14日付で背番号の変更が公示された。当日の試合前は、西武ナイン全員が松坂の投球写真があしらわれた特製Tシャツを着用し、練習に臨んだ。迎えた試合では先発登板し、横浜高校の後輩・近藤健介に対して5球投げ、四球を与えてマウンドを降りた。この日の最速は118km/h。試合後にはグラウンドを一周してファンに感謝の意を示すと、日本ハムのベンチ前には前述した特製Tシャツを着用した監督・栗山英樹、横浜高校の後輩・近藤、淺間大基、髙濱祐仁、万波中正が登場。一人ひとりと握手を交わすとこの年途中まで西武に在籍した木村文紀とも握手。最後はマウンド上で西武ナインと共に日本ハムの木村と横浜高校OBも輪に加わり、5度胴上げされ、ファンの割れんばかりの拍手に応えながらグラウンドを去った。12月4日のファン感謝イベントで引退セレモニーが行われた。セレモニーでは横浜高校時代の監督・渡辺元智、WBCでともに戦った王貞治、原辰徳、ソフトバンク時代の監督・工藤公康、西武時代にバッテリーを組んだ中嶋聡からビデオメッセージがあり、その後、親交のある俳優の妻夫木聡がサプライズで登場し抱擁を交わした。続いてプロ入り時の監督・東尾修が登場し、花束を受け取った。セレモニーを終え、グラウンド一周を終えると、突如ビジョンにイチローからビデオメッセージが流れ、「大輔、どんな言葉をかけていいのか、なかなか言葉が見つからないよ。僕にはこんなやり方しかできません。許せ、大輔」と語りかけると、ビジョンが暗転。次の瞬間、イチローが登場すると花束を手渡され、声をかけられると、自身は涙を堪えきれずに号泣した。
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