第二次英緬戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:46 UTC 版)
「en:Second Burmese War」を参照 1852年、イギリスは再びビルマに侵攻してペグーを占領、海に面した下ビルマを自国領に併合した(第二次英緬戦争、Second Burmese War)。 イギリスはビルマ南部を手にすることで、より一層東アジアへの進出を目指し、アロー戦争(1856年~1860年)でフランスと共に清をさらに圧迫、有利な交易を展開した。1857年にはインドのセポイの反乱を鎮圧してムガル帝国を滅亡させると、1858年に東インド会社を解散させて植民地経営と東方交易をイギリス政府の直轄とし、1867年にはマライ海峡植民地(en)を直轄領として制海権を手にした。フランスも同時期にベトナムへの侵略をはじめ、清仏戦争(1884年~1885年)でインドシナの支配権を確立した。オランダはジャワ島からスマトラ島を攻略して一大植民地を建設した。
※この「第二次英緬戦争」の解説は、「英緬戦争」の解説の一部です。
「第二次英緬戦争」を含む「英緬戦争」の記事については、「英緬戦争」の概要を参照ください。
- 第二次英緬戦争のページへのリンク