提督昇進とビルマでの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 15:28 UTC 版)
「チャールズ・オースティン」の記事における「提督昇進とビルマでの死」の解説
1846年には少将に昇進し、1850年1月14日には東インド・中国艦隊の司令官に任じられて、その翌日には提督旗をなびかせて出港した。第二次英緬戦争でイギリス遠征軍を率いたが、1852年10月7日、73歳でコレラのためピイで死去した。1852年4月30日、オースティンはその功績をインド総督のダルハウジー侯爵ジェイムズ・ブラウン=ラムゼイにたたえられ、その後ラムゼイはオースティンの死に対する哀悼の意を、正式に記録に残した。遺体はトリンコマリーに埋葬された。
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