提督時代.(1890年 - 1902年)
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「ジョン・アーバスノット・フィッシャー」の記事における「提督時代.(1890年 - 1902年)」の解説
フィッシャーは、第三海軍卿(英語版)(Third Sea Lord、艦船と設備の供給の責任者。旧日本海軍の艦政本部長に相当)になると、1891年から1892年にかけて2、3ヵ月にわたってポーツマスの造船所を監督し、水雷艇への対抗兵器である「水雷艇駆逐艦」(のちに短縮されて「駆逐艦」となる)の開発を進めた。水雷艇は安価であるにもかかわらず最大の戦艦をも沈めることができ、かつフランスはそれを多数保有していたため、大きな悩みの種となっていた。水雷艇駆逐艦は、当時最新式の水管ボイラーと速射砲を備えた小型、高速の軍艦であった。 フィッシャーは1896年に海軍中将に昇進した。彼は1897年から北大西洋と西インド方面の司令官を務めた後、1899年の第1回ハーグ平和会議の代表を経て、1902年まで地中海艦隊の司令長官の任務についた。当時、スエズ運河を含むインドとの交通線はフランスの脅威に常にさらされており、イギリスにとって最重要の艦隊であった。1901年に彼は海軍大将に昇進した。
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