第一の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/06 15:36 UTC 版)
12月25日、艦隊水雷艇隊にレーヴェリ停泊地の偵察および敵への砲撃命令が下った。作戦では、艦隊水雷艇隊は任務遂行ののち戦列艦と巡洋艦の掩護の下に入ることになっていた。ところが、アザールトとアフトローイルは燃料不足によって出撃ができなかった。翌26日、ラスコーリニコフ隊長の乗るスパルターク単艦がレーヴェリへ向かって出港した。スパルタークはアエグナ島とナイサール島にあるエストニアの砲台を砲撃し、その後クロンシュタットへ向かうフィンランドの蒸気船を拿捕した。しかし、そこからレーヴェリへ向かう途上、13時15分にスパルタークはイギリス艦隊に遭遇した。軽巡洋艦カリプソ、カラドック、駆逐艦ヴェンデッタ、ウェイクフルからなる優勢なイギリス海軍艦隊はすぐさまスパルターク追撃を始めた。砲火が交わされたのち、14時近くにスパルタークは浅瀬に衝突した。それでもスパルタークは砲撃を行ったが、無理な体勢で射撃したため爆風で艦橋の窓が割れ、その際、帰路に必要な海図を紛失した。艦橋では、自らの砲撃の爆風で損傷したのをてっきり敵弾が命中したものと勘違いしたためパニックが発生し、指揮を誤って別の浅瀬に座礁した。事故のために操舵装置や船体が故障し、スクリュープロペラが破壊された。ラスコーリニコフは、艦の運命を諦めて自沈を命じた。しかし、船底が損傷してキングストン弁も開けなかったため、ラスコーリニコフはその命令を取り消した。 座礁の瞬間、イギリス艦隊は30 鏈の距離にいた。距離を半分に縮めながら、艦隊は偏流に乗って救命艇を降ろした。捕獲グループがスパルタークに到着したが、彼らはその薄汚く締りのない乗員たち「赤い海軍水兵」らに劣らず、手入れを怠って荒れ果てた艦の状態に驚かされた。さらに、穴の開いた船体から水を掻き出すための排水ポンプの始動について自然発生的に始められたミーティングに、上位下達方式に馴染んだイギリス人たちはさらに驚かされた。あろうことか、その問題は恐らく投票によって決されたのである。ともかく、排水ポンプは始動された。その後、スパルタークの乗員はイギリス艦に移された。その日の夕刻、駆逐艦ヴェンデッタはスパルタークを浅瀬から引き摺り出し、タリンへ曳航した。 その夕刻、エストニア当局は勝者のための贅を尽くした晩餐会を催した。たくさんの料理と飲み物にイギリス人たちは驚いた様子を見せたが、それというのもタリンでの食料不足は周知のことであったのである。酒盛りは、夜遅く、イギリス水兵たちの帰艦の刻限まで続いた。B・S・テシジャー海軍大佐は巡洋艦カリプソに帰着すると、スパルタークで接収されたすべての文書を持ってくるよう命じた。その書類から、彼はゴーグランド島近くに恐らく巡洋艦オレークが位置していることを突き止めた。彼は巡洋艦カラドックと駆逐艦ウェイクフルに速やかなる出撃を命じ、残る艦船にも出撃準備を命じた。
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