第一の改心
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「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事における「第一の改心」の解説
1512年、ディエゴ・コロンはキューバ島征服軍を出動させ、ディエゴの友人であったラス・カサスも従軍司祭としてこれに加わった。軍勢の中には後にコンキスタドールとして知られたエルナン・コルテスもいた。この軍事行動の中でおこなわれたインディアンに対する拷問と虐殺を目の当たりにしたラス・カサスは激しい良心の呵責を感じるようになった。1514年には従軍司祭の地位を捨て、農業に専念しながら聖書について観想する生活に入る。聖書のメッセージと現実に起こっているインディオの不当な扱いは明らかに相容れないものであった。司祭としてラス・カサスの苦悩は頂点に達していた。 1514年8月15日、ラス・カサスの人生における「第一の改心」と呼ばれる出来事が起こる。ラス・カサスは熟考の末、所有していたインディオ奴隷を解放し、自らのエンコミエンダを放棄。サンクティ・スピリトゥスで行った聖母被昇天祭のミサの中でエンコミエンダ制の矛盾を厳しく糾弾したのである。 1515年、インディアスでエンコミエンダ制の不当性を訴えていたドミニコ会員たちと相談の上、王室に状況の改善を訴えようとモンテシーノスと共にスペインへ向かった。しかし、フェルナンド2世はまもなく逝去したため、摂政として実権を握っていたフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス枢機卿およびアドリアン枢機卿(後のハドリアヌス6世)に謁見して植民地の実情を訴えた。この時書かれたのが『14の改善策』といわれるもので、エンコミエンダの廃止とインディオ虐待の即時中止、平和的キリスト教布教などが提案されている。インディオは奴隷酷使され、また虐殺によって数を減らし、南米へ逃亡するものが後を絶たず、奴隷労働力としてすでに役に立たなくなっていた。このため、このころのラス・カサスはインディオに代わる労働力として西アフリカから運ばれた黒人奴隷の利用もやむなしと考えていた。しかし後に、これも不当であると考えるようになる。
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