立憲革命時代(19世紀末葉から20世紀の初頭まで)
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「ペルシア文学」の記事における「立憲革命時代(19世紀末葉から20世紀の初頭まで)」の解説
立憲革命に至るまでの時期において、イランの人々の政治・社会意識の覚醒に最も大きな貢献を果たしたのは、イラン国外に居住するイラン人によって発行されたペルシア語の新聞であった。これらの新聞は国内の厳しい禁止措置にも関わらず、旅行者等を通じて多く持ち込まれた。この種の新聞としては、例えば、タバコ専売利権の弊害を最初に指摘した『アフタル』紙、専制打破と立憲制の必要を呼びかけ西欧の思想を紹介した『カーヌーン』紙がある。 立憲革命後に検閲が廃止されると、イラン国内でも新聞の発行が自由に行われるようになったが、第二次立憲革命運動にかけて再び厳しい状況に陥った。この時期の代表的な新聞は、『スーレ・イスラーフィール(英語版)』という週刊紙である。これは立憲の立場での強硬な論調と、特に商人層をはじめとする一般的な庶民層に広く読まれたという点で重要性を持つ新聞であった。この週刊紙で、2年にわたり、デホダーが「チャンド・パランド」と題して執筆した一連の風刺エッセイは大きな注目を浴びた。「庶民がわかるように庶民の間で一般的な言葉、言い回しを使って書く」というのが彼の文章術の基本としてあった。 新聞と並行して、散文も人々の覚醒を目的とし、改革思想を鼓舞し政治風刺を行なった。アゼルバイジャン出身のアーホンドザーデ(ペルシア語版)はアーゼリー語で喜劇を執筆した。彼は喜劇を通して社会風刺を行い、専制主義に反対した。彼の近代批判精神はその後の革新的な文学者に多大な影響力を持った。アーホンドザーデの後は、ハビーブ・エスファハーニー(英語版)による『イスファハーンのハージーバーバー』のペルシア語訳や、ザイヌル・アーベディーン(英語版)による『イブラヒーム・ベーグの旅』がイラン人の覚醒・啓蒙に大きく貢献した。この時期の一連の文学作品は「立憲革命文学」に位置付けられる。立憲革命後「立憲革命文学」が衰退すると、古代・中世イランの栄光をテーマにした歴史小説が主流となった。 「立憲文学革命」期では、詩にも変化がみられた。これまでの宮廷詩人の影は薄れ、その内容は人々の覚醒・社会風刺の色合いが濃くなった。この時代の代表的な詩人としてファラーハーニー(ペルシア語版)、イーラジ・ミルザー(ペルシア語版)、エシュキー(英語版)を挙げることができる。
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