空気ブレーキの発明と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:34 UTC 版)
「鉄道のブレーキ」の記事における「空気ブレーキの発明と普及」の解説
アメリカのジョージ・ウェスティングハウスは、現代でも用いられている自動空気ブレーキの原理を発明し、1872年3月5日に特許を取得した。これは高い圧力の空気を使うことで真空ブレーキに比べて小型の装置でも強いブレーキ力を得られるものであった。また三動弁を使うことにより、空気圧がブレーキ管から抜ける時にブレーキが作動するようにされており、ブレーキ管の破損などに対してフェイルセーフな構成となっていた。さらにウェスティングハウスのシステムでは、ブレーキ管の圧力を完全に抜かなくても強い制動力が得られるようになっており、ブレーキ使用後に再びブレーキ管に圧力を掛ける時間が短縮された。 初期にはコンプレッサーが大きく高価でもあったため、なかなか普及しなかった。しかしアメリカでは1893年3月2日に鉄道安全装置法が制定され、7年の猶予期間をおいて1900年から施行された。この法律ではアメリカで運行される全ての列車に自動空気ブレーキと自動連結器の採用を義務付け、事故の激減に貢献した。 日本の鉄道では、当初は貫通ブレーキがなく緩急車を使ったブレーキの仕組みを使っていた。1886年(明治19年)頃から旅客列車において真空ブレーキの採用が始まり、一部の機関車と客車に搭載された。さらに1898年(明治31年)8月から、一部の貨車において真空ブレーキの搭載が始まった。しかしその能力の低さから、1919年(大正8年)に自動空気ブレーキの採用が決定され、真空ブレーキの使用は全面的には適用されずに直接自動空気ブレーキの時代に移行した。1921年(大正10年)から取り付け工事が始まり、1925年(大正14年)までに全ての車両にブレーキ管が取り付けられて、仮にその車が自動空気ブレーキ装置の取り付けられていない車両であっても、ブレーキ管をつなぐことで編成中の他の車両へは空気圧を伝えて自動空気ブレーキが使えるようになった。さらにブレーキ装置の取り付けも進展し、1930年(昭和5年)10月から全ての貨物列車が自動空気ブレーキで運転されるようになった。取り付け期間中は、ブレーキシリンダーをまだ搭載していない車両と区別するために取り付け済み車両の両端には白線が引かれた。1931年(昭和6年)以降は、逆に一部の旧型貨車でブレーキシリンダーの取り付けられていないものについて、白い十字の印を表記するようになっている。 蒸気機関車では可動部のないスチームエゼクターを使うことで、蒸気の力で比較的簡単に真空を作ることができた。これに対して圧縮空気を作るのは複雑なコンプレッサーが必要であり普及の阻害となったが、蒸気機関車の時代が終わると共に真空ブレーキのこの利点もなくなり、世界的に空気ブレーキが普及するようになった。
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