秋田県に再伝授される玉川遠州流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:25 UTC 版)
「玉川遠州流」の記事における「秋田県に再伝授される玉川遠州流」の解説
今から270年程前の1744~1750年頃、秋田では、真宗大谷派法雲山 西勝寺(現 秋田市旭北寺町2-17)第14世住職の皆乗院公道(かいじょういん・こうどう)が、仏教修行のため京都に赴き、2代杖信と3代有斐に師事した。その習いは、弟子の自笑庵(じしょうあん、1814年没)から、西勝寺住職の願乗院公教(がんじょういん・こうきょう、皆乗院公道の孫)、大館 淨應寺第10世住職の譽田無等(ほんだ・むとう)らに継がれた。 一方、京都では、当流が30年間断絶しており、閑院宮家3代美仁親王(はるひとしんのう)が4代家元を養成して当流を再興し、薨去(こうきょ)前年の1818年に当流の伝存のため遠地 秋田への再度の伝播を内命した。4代宗震は、皆乗院公道の出した神文書(茶道修業にあたり提出する誓約書)を頼りに、そして、角田無幻が美仁親王の弟の光格天皇と譽田無等の書道の師であることを縁にして、1818年(文政元年)9月に秋田と横手を訪れた。大館淨應寺に、角田無幻筆の法帖がある。横手に、角田無幻を光格天皇の書道の師に推薦した中納言庭田重嗣筆の和歌懐紙と、4代宗震が花山院家に仕えた時の花山院愛徳(よしのり)詠・花山院家厚(いえあつ)画の掛物が現存する。重嗣筆の和歌懐紙と愛徳詠・家厚画の掛物は、4代宗震が横手に来秋した時に持参したものである。 1955年(昭和30年)3月の京都南禅寺での流祖250年祭(初代玉川の250年大遠諱、2代杖信の200年遠諱の追善茶会)に使用された茶碗として、「唐津 閑院宮家拝領 秋田玉林寺箱書付」がある。秋田玉林寺とは、大館城下の現在地に1612年(慶長17年)に移転した曹洞宗鳳凰山 玉林寺である。創建は1527年(大永7年)で、寺領と寺院規模によっても秋田県を代表する名刹として知られ、中世の豪族 浅利氏の菩提寺で、500年近い歴史を有している。そして、近衛信尹筆の墨蹟、古膳所茶入、螺鈿天目台、遠州七宝文がある香合などの名品が玉林寺に現存することから、2代杖信~3代有斐の頃に玉林寺の高僧が当流を嗜んでいたと推測される。玉林寺は古来より玉川遠州流と親密で、横手の資産家 藤沢宗拙が秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学校)に寄贈された茶室開きの第6日夜(昭和12年6月22日、文人関係)に、玉林寺の閑居宗無師(第24世住職桑名健龍、1945年(昭和20年)遷化、81歳、短歌の号は春鳳)が正客として招待されている。
※この「秋田県に再伝授される玉川遠州流」の解説は、「玉川遠州流」の解説の一部です。
「秋田県に再伝授される玉川遠州流」を含む「玉川遠州流」の記事については、「玉川遠州流」の概要を参照ください。
- 秋田県に再伝授される玉川遠州流のページへのリンク