私立上郷図書館(1936-1941)
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「飯田市立上郷図書館」の記事における「私立上郷図書館(1936-1941)」の解説
1936年(昭和11年)7月21日13時、上郷図書館は開館式を挙行した。式典には新図書館を準開架式にすることを発案した県立長野図書館長・乙部泉三郎の姿もあった。建設に要した費用は3,198円80銭と計画を大幅に上回り、超過分は青年会の借入金で賄った。新館は1階が図書館、2階が青年会館として利用され、入り口の門柱には「上郷青年会館」と「上郷図書館」の文字が掲げられた。図書館部分は奥行4間(≒7.3 m)×間口6間(≒10.9 m)、床面積24坪(≒79.3 m2)であり、1,579冊を備えての出発となった。翌1937年(昭和12年)には図書館規則と職員規定を定め、館長を青年団長、司書を図書部長とすることを決定した。利用者は目当ての本をガラス越しに見つけ、書名などを記入して出納口に提出し、取り出してもらうことで本を読むことができた。開館日は従来通りで、13時から16時まで女子青年会員が、19時から21時まで男子青年会員が貸出業務を行った。来館者は1日100人以上に達し、他村からの見学者の応対も重なって図書部員は重労働であった。貸出冊数・貸出期間、村民であれば誰でも貸し出すことができるのも従来通りであったが、この時貸出料が撤廃された。貸出無料化は乙部泉三郎の助言によるものとみられる。 詳しい事情は不明であるが、図書館運営委員会が購入図書の事後承認を行うことになり、委員会には青年会員のほかに村長や小学校長、婦人会・軍人会などの団体代表者が参加していた。体制批判をするような本は姿を消し、国家主義的・国策的な本、農業系の実務書、島崎藤村『夜明け前』、山本有三『真実一路』などの純文学が連なり、三上於菟吉『雪之丞変化』、吉川英治『宮本武蔵』など娯楽的色彩の強い作品も増加した。貸出実績は娯楽的な本が良く、国策物は青年会に入りたての新入会員の教科書として利用された。 上郷図書館は模範的な図書館と目され、1939年(昭和14年)3月に帝国図書館長・松本喜一が視察に訪れ、1940年(昭和15年)11月に長野県から優良図書館表彰を受けた。一方、時代は太平洋戦争へと向かっていった。飯田警察署からは定期的に利用図書の調査書が送られるようになって自由な図書の利用に支障を来し、左翼的な本を借りる者は皆無となった。また運営面でも利用面でも中心的な役割を果たした青年会員は次々と戦場に送られ、利用実績は低下し、1941年(昭和16年)には上郷青年会が解散した。
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