福澤の社長就任とは? わかりやすく解説

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福澤の社長就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:23 UTC 版)

名古屋電灯」の記事における「福澤の社長就任」の解説

名古屋電力合併により八百津発電所建設工事引き継いだが、着工当初から難工事続いていた上、名古屋電灯移行後もトラブル続き送電開始したのは1911年12月のことであった工事中1911年4月825万円増資議決し資本金1600万円とし、さらに社業拡大伴って常務の上社長を置くこととし同年7月名古屋市長加藤重三郎迎えた出力4,200kWの長良川発電所出力7,500kWの八百津発電所加わった名古屋電灯では、大口需要開拓努め主として電力供給拡大した。しかし両発電所建設費負担重く財務状態はかえって悪化し配当補充金を取り崩して配当維持するものの1912年明治45年)には配当率年率12パーセントから9パーセント引き下げざるを得なくなったこうした業績悪化株主経営陣対す批判強め豊橋電気再建九州での電気事業好成績挙げていた福澤桃介の再登板期待する声を大きくした。批判高まり受けて常務三浦恵民兼松煕1912年6月辞任次いで大正改元機に経営一新すべきという声に押され同年12月取締役10名と監査役6名全員一斉に辞任し直後株主総会で総改選することになった。 この役員改選際しその指名福澤一任された。加藤重三郎社長留任)や兼松煕らが再任されたほか、このとき下出民義取締役加わっている。翌1913年大正2年1月福澤常務復帰した。こうして経営握った福澤九州電灯鉄道支配人角田正喬引き抜き名古屋電灯支配人任命し営業活動集金方法改善など経営改革取り組んだこうした中の1913年秋、社長加藤重三郎取締役兼松煕らが大須遊廓移転にからむ疑獄事件起訴された。加藤らは12月第1審有罪となった後、翌1914年第2審結局無罪となったが、その間名古屋電灯では社務を執れなくなった加藤に代わって1913年9月福澤社長代理指名したその後加藤社長辞任したため、1914年12月福澤後任社長となった福澤昇任とともに下出常務代理から常務となっている(1918年2月からは副社長)。福澤社長就任後も本拠地を東京置いたため、以後福澤人事金融担当し下出日常業務のほとんどを代行するという経営体制となった

※この「福澤の社長就任」の解説は、「名古屋電灯」の解説の一部です。
「福澤の社長就任」を含む「名古屋電灯」の記事については、「名古屋電灯」の概要を参照ください。

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