神戸高塚高校校門圧死事件
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神戸高塚高校校門圧死事件(こうべたかつかこうこう こうもんあっしじけん)とは、1990年(平成2年)7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭であった細井 敏彦(当時39歳)が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に頭を挟まれて死亡した業務上過失致死事件である[1]。
- ^ “校門圧死事件から29年 犠牲生徒悼み集会 神戸高塚高校”. 神戸新聞NEXT (2019年7月6日). 2020年7月3日閲覧。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、86-93頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、102-103頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、143-144頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、16-17頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、143-144,148頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、112頁。
- ^ 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』草思社、145頁。
- ^ 1993年2月11日付朝日新聞朝刊
- ^ 私達教師は一体何をしているのか~1(神戸県立支部) 兵庫県高等学校教職員組合1995年県高支部ニュース 2005年06月07日
- ^ 朝日新聞神戸支局 編「少女・15歳 神戸高塚高校校門圧死事件」148ページ
- 1 神戸高塚高校校門圧死事件とは
- 2 神戸高塚高校校門圧死事件の概要
- 3 概要
- 4 その後の経過
- 5 影響
固有名詞の分類
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