門扉の撤去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:26 UTC 版)
「神戸高塚高校校門圧死事件」の記事における「門扉の撤去」の解説
学校は、事件現場となった校門の門扉を事件直後に撤去しようとしたが、「事件の風化を図っている」などとして保護者や一部住民らが反発した。「判決前の撤去は好ましくない」とする裁判所の意見を受けて保留したが、細井の有罪確定を受けて再び校門撤去を推めた。撤去後の門扉を溶解工程に回すことなどの決定が、PTAや保護者に説明することなく記者会見で明らかにされて保護者や住民らは反対したが、1993年(平成5年)7月30日に小競り合いの中で撤去されて従前よりも小型で軽量な門扉が設置された。 門扉の撤去は不当だとして工事費などの返還を求める住民が訴訟を起こすが、1999年(平成11年)7月12日の最高裁第三小法廷の判決で、学校側の措置を適法として住民の訴えを棄却する判決が確定した。
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