神前式(しんぜんしき)
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前述の通り、日本の結婚式そのものや、行われてきたしきたりは日本独自の宗教である神道から大きな影響を受けているが、結婚式自体は自宅で行われるのが一般的であった。 「神前結婚式」という形式が明確となり、一般に広まったのは、1900年(明治33年)5月10日の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)と九条節子妃(後の貞明皇后)の結婚式がきっかけである。初めて宮中賢所大前で行われ、同様の神前結婚式を挙げたいという気運が国民の間で高まった。気運の高まりに応じ、東京の神宮奉賛会(現在の東京大神宮)が皇室の婚儀を参考にして民間での「神前結婚式」の様式を定め、翌1901年(明治34年)3月3日に模擬結婚式を開催、以降、改良や普及活動を行った。今日「神前式」として行われているものは、この神宮奉賛会が創設したものが元になっている。 最初に巫女の先導で新郎新婦、媒酌人、新郎両親、新婦両親、新郎親族、新婦親族の順に入場し、最後に斎主が入場。典儀と呼ばれる司会進行役(巫女が行う場合もある)が式の始まりを宣言。祓を行うため、斎主が大麻を用いて穢れを祓う。一同は起立したまま軽く頭を下げ、これを受ける。斎主の一礼に合わせ一同が起立して神前に礼。斎主が神前で2人の結婚をその神社に鎮座する神と氏神、そして祖先神に報告する祝詞を奏上し、神の加護を願う。一堂は起立して頭を下げる。 三三九度の杯を交わす。一の杯においては、まず新郎が杯を受け、次に新婦、また新郎となる。二の杯では、まず新婦、次に新郎、また新婦。三の杯は一の杯に同じ。一二三の三度の杯を三回ずつ受けるので、3×3=9ということで三三九度が成立する。ただ現在は新郎新婦の時間的な制約もあり、以下のような略式を用いる神社も多い。新郎が一の杯を受け、次に新婦がその杯を飲み干す。二の杯は新婦から新郎の順、三の杯は新郎から新婦の順で、どの杯も一口で飲み干す。新郎新婦が神前に進み出て誓いの言葉を読み上げる。新郎が本文を読み、名前の部分は新郎新婦がそれぞれ読む。 巫女が神楽舞を奉納する。新郎新婦が玉串を神前に捧げ「二拝二柏手一拝」の順で拝礼し、席に下がるときは、お互いに背を向けないように、内回りで体の向きを変える。これは神に対して、なるべく自分のお尻を向けないようにである。新郎新婦に続いて媒酌人、親族代表が玉串を捧げる。両家が親族となった誓いを交わすため、両家の親族、新郎新婦、媒酌人が杯を戴く。斎主が式を無事執り納めたとを神に報告し、一拝。一同も起立して一礼。その後斎主がお祝いの挨拶をし、斎主退場の後、新郎新婦、媒酌人、親族の順に退場。式の後披露宴に移る。 場所は神社に限らず、神前式の式場を設けているホテル、結婚式場も多い。 なお、出雲大社や出雲大社教では一般神社とは異なる神前結婚式を行う。式場では、新郎新婦の座前に「天之御柱(あめのみはしら)」を立てての神事となる。斎主は祝詞奏上後に「神誡」を天之御柱付近にて読み諭す。玉串拝礼は新郎が天之御柱を左より廻り、新婦は右より廻り四拍手にて拝礼する。また玉串は、神職の用いる笏のように握り、笏と同様の作法で礼を行う。その他、特殊な部分が多く伝承されている。 現在の結婚式において、多くの新郎新婦はキリスト教式を選び、神前式は少数派となっているが有名人、著名人の挙式や国際結婚に限れば日本文化体験・交流の場として敢えて神前式を選ぶカップルも増えている。
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