社会や文化への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 15:20 UTC 版)
「北アメリカの毛皮交易」の記事における「社会や文化への影響」の解説
毛皮交易と交易者たちは映画に描かれ、そのほかの大衆文化にも影響を及ぼした。その中には、ジェームズ・フェニモア・クーパーから、アーヴィング・ピチェルの1941年の映画『ハドソン湾』、1957年に人気を博したカナダのミュージカル『マイ・ファー・レディ』(音楽はガルト・マクダーモット)、そしてニコラ・ヴァニエのドキュメンタリーに至るまで、さまざまな本や映画で話題となった。しかしそれとは対照的に『ハドソンの国カナダ、相棒ハディの物語』が大衆文化で、そして、1785年にモントリオールに創設された、ビーバークラブというエリートの組織でも大いに広まった。男性社会である毛皮交易の学術論文は、歴史を十分に表していることはめったになかった。モントリオールのコンコルディア大学で通信科学の研究をするシャンタル・ナドーは、インディアン女性とヨーロッパからの移民である18世紀の猟師の「田舎の妻」「田舎の結婚」、そして「国王の娘たち」に言及している。ナドーによれば、女性はある意味役に立つ存在であり、貢献的(スキンフォースキン) で、交易の持続可能な拡大に不可欠であった。 ナドーは毛皮を、カナダの象徴であり国家的な「布」と書いている。彼女はカナダのアザラシ猟について、保護する側の代表である有名女優ブリジット・バルドーとの論争について特に言及している。バルドーは1971年に、アメリカのミンクの毛皮製品メーカー、ブラックグラマの「伝説」の広報活動のモデルを務め、裸体の上にコートを着てポーズをとって見せた。その後バルドーは反毛皮運動に加わったが、これは著名な作家のマルグリット・ユルスナールの求めに応じたものである。ユルスナールは彼女の知名度を利用して反アザラシ猟の運動を助けたのだった。彼女は反毛皮運動の活動家として成功をおさめ、セックスシンボルから、アザラシの赤ちゃんたちの母親的存在となったのである。ナドーはこれを、バルドーがフランスの右翼政治活動に参加していることと関連付けている。カナダの反毛皮運動は、カナダ史上における大きな変化と絡んでおり、カナダでは静かなる革命の最中、もしくはそのあとにこの運動が起き、1990年代の終わりに沈静化するまでこの運動が続いた。 2008年、リーマンショックが毛皮業界、特に罠猟師にかなりの打撃を与えた。高価な毛皮製品の売れ行きが落ち込んだためである。この毛皮の値段の暴落は、先の経済 の下降の傾向を反映している。
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