矢田坐久志玉比古神社とは? わかりやすく解説

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矢田坐久志玉比古神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 03:06 UTC 版)

矢田坐久志玉比古神社

楼門
所在地 日本 奈良県大和郡山市矢田町965
位置 北緯34度39分6.5秒 東経135度44分53秒 / 北緯34.651806度 東経135.74806度 / 34.651806; 135.74806座標: 北緯34度39分6.5秒 東経135度44分53秒 / 北緯34.651806度 東経135.74806度 / 34.651806; 135.74806
主祭神 久志玉比古神(櫛玉饒速日命
御炊屋姫命
社格 式内社(大社)
本殿の様式 春日造
例祭 十月九日、十日
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楼門に奉納されているプロペラ

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)は、奈良県大和郡山市矢田町に鎮座する式内社、別名「矢落(やおち)神社」。延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社で式内大社。旧社格は、県社(昭和13年10月、郷社より格上げ)。

新抄格勅符抄大同元年(806)の諸社神封の条に「矢田神二戸 大和」とあり、当社はそれ以前に創祀されていた古社であることがわかる[1]仁徳天皇の皇后である矢田皇女は、この地方の出身と考えられている[2]。「当地方最大の古社として創建より六世紀前半までは畿内随一の名社として栄えた」と掲示板に記されている。

祭神である櫛玉饒速日命天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。実際に、戦闘機で使用されていたプロペラが奉納され、楼門屋根裏から吊されている。

祭神

久志玉比古神(櫛玉饒速日命)と御炊屋姫命の二座。

明治12年の神社明細帳では、天太玉命から訂正されている。明治新政府の圧力で40年程、天太玉命を祀らされたらしい。

文化財

重要文化財

  • 矢田坐久志玉比古神社 2棟[3]
    • 本殿
    • 末社八幡神社社殿

境内神社

境外神社

  • 主人(ぬしと)神社:祭神は、饒速日命・御炊屋姫命の二座。御炊屋姫命一座、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)一座の説があ            るが、天比理刀咩命は、明治新政府による圧力で一時期。境外神社であるとともに御旅所でもある。御旅所でもあったことを鑑みると、饒速日命・御炊屋姫命の二座である[4]
  • 八阪神社:祭神は、須佐之男命。現在、独立している。

アクセス

  • 近鉄橿原線近鉄郡山駅」からバス「大和小泉駅東口」行き、または「矢田寺前」行きに乗車し「横山口」で下車後、徒歩6分
  • 駐車場あり

脚注

  1. ^ 奈良県史閲覧
  2. ^ 式内社の研究 第2巻より
  3. ^ 重要文化財一覧”. 大和郡山市. 2019年8月24日閲覧。
  4. ^ 神主様宛確認

参考文献

  • 池田末則ほか 著、谷川健一編 編『日本の神々 : 神社と聖地 第4巻』白水社、1985年。ISBN 4-560-02214-3 

関連項目



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