矢田坐久志玉比古神社
名称: | 矢田坐久志玉比古神社 |
ふりがな: | やたにいますくしたまひこじんじゃ |
名称(棟): | 本殿 |
名称(ふりがな): | ほんでん |
番号: | 2108 |
種別1: | 近世以前/神社 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1908.04.23(明治41.04.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 奈良県 |
都道府県: | 奈良県大和郡山市矢田町 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 一間社春日造、檜皮葺 |
時代区分: | 室町前期 |
年代: | 室町前期 |
解説文: |
矢田坐久志玉比古神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 03:06 UTC 版)
矢田坐久志玉比古神社 | |
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![]() 楼門 | |
所在地 |
![]() |
位置 | 北緯34度39分6.5秒 東経135度44分53秒 / 北緯34.651806度 東経135.74806度座標: 北緯34度39分6.5秒 東経135度44分53秒 / 北緯34.651806度 東経135.74806度 |
主祭神 |
久志玉比古神(櫛玉饒速日命) 御炊屋姫命 |
社格等 | 式内社(大社) |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 十月九日、十日 |

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)は、奈良県大和郡山市矢田町に鎮座する式内社、別名「矢落(やおち)神社」。延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社で式内大社。旧社格は、県社(昭和13年10月、郷社より格上げ)。
『新抄格勅符抄』大同元年(806)の諸社神封の条に「矢田神二戸 大和」とあり、当社はそれ以前に創祀されていた古社であることがわかる[1]。仁徳天皇の皇后である矢田皇女は、この地方の出身と考えられている[2]。「当地方最大の古社として創建より六世紀前半までは畿内随一の名社として栄えた」と掲示板に記されている。
祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。実際に、戦闘機で使用されていたプロペラが奉納され、楼門屋根裏から吊されている。
祭神
久志玉比古神(櫛玉饒速日命)と御炊屋姫命の二座。
明治12年の神社明細帳では、天太玉命から訂正されている。明治新政府の圧力で40年程、天太玉命を祀らされたらしい。
文化財
重要文化財
- 矢田坐久志玉比古神社 2棟[3]
- 本殿
- 末社八幡神社社殿
境内神社
境外神社
- 主人(ぬしと)神社:祭神は、饒速日命・御炊屋姫命の二座。御炊屋姫命一座、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)一座の説があ るが、天比理刀咩命は、明治新政府による圧力で一時期。境外神社であるとともに御旅所でもある。御旅所でもあったことを鑑みると、饒速日命・御炊屋姫命の二座である[4]。
- 八阪神社:祭神は、須佐之男命。現在、独立している。
アクセス
- 駐車場あり
脚注
参考文献
- 池田末則ほか 著、谷川健一編 編『日本の神々 : 神社と聖地 第4巻』白水社、1985年。ISBN 4-560-02214-3。
関連項目
- 矢田坐久志玉比古神社のページへのリンク