相次ぐ路線改良と車両の大型化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 17:37 UTC 版)
「能勢電鉄妙見線」の記事における「相次ぐ路線改良と車両の大型化」の解説
このようにして建設された路線には、半径100m以内のカーブが52箇所も存在した。一部のカーブは曲線が急すぎて連結運転も不可能なほどで、このためにラッシュ時などには続行運転をして対処していた。戦後までこのままで推移したが、連結運転を行って人件費を抑制するために1957年に阪急から10形・20形(元新京阪P-4・P-5形)を導入し、その際に半径30m以内の曲線を改良。1964年にも320形導入に備えて最小限の線形改良を行った。 1960年代に入ると沿線の宅地開発が進み、輸送力の増強が至上課題となった。1966年には前述の320形を導入し、1967年には第1期複線化工事となる川西能勢口 - 鶯の森間の複線化を完了。第2期複線化工事となる鶯の森 - 平野間では皷滝 -多田間の併用軌道が解消され、軌道法から地方鉄道法に適用対象を変更して車体長や最高速度の制限を解除することが可能となった。 つづいて、日生ニュータウンの開発に伴って平野 - 山下間を複線化する必要が生じた。ひとまず交通量の増加している国道173号の拡幅を目的として塩川信号所(1965年廃止) - 畦野間で線路の付け替えと複線化の下地作りが図られることとなり、1973年に完成。1977年には平野 - 山下間の複線化が完成した。同じ年には、光風台団地の開発に伴い、光風台駅の新設と駅付近の曲線改良も完成している。1983年には初めて大型車(1500系)を導入し、この際にトンネル断面の不足する笹部隧道は笹部第一隧道に付け替えられた。さらに、1997年には阪急宝塚線に乗り入れる特急「日生エクスプレス」が新設され、大阪の都心まで特急が直通するようになり現在に至る。
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