百貨店の開業
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1947年(昭和22年)3月28日には株式会社やまとやしきを設立し、外部に店を構えるようになった店舗の跡に直営の売り場を広げて食料品や呉服など販売品目を拡張した。1951年(昭和26年)11月には村野藤吾設計の鉄筋コンクリート造4階建ての新店舗を完成させ、米田が旧制姫路商業学校(現在の姫路商業高等学校)時代からの夢だった百貨店やまとやしきを開業した。 播磨地方初の百貨店であったこの店舗は、「播州のお買い物センター」をキャッチフレーズとしていた。建物は増築が行えるように設計されており、1957年(昭和32年)に姫路城の見える展望レストランを8階に置いた地上8階高さ43mの播磨一の高層ビルの増築を含め、1981年(昭和56年)までに4回の増築を行って売り場面積約17,000m2にまで拡張して長らく姫路市内最大の百貨店として営業を続けた。 その間の1953年(昭和28年)7月に山陽電気鉄道が建設した鉄筋コンクリート造4階建ての電鉄姫路駅(現在の山陽姫路駅)ビルに山陽百貨店が開業したため、品揃えや物産展などの催事や店舗拡張・冷暖房導入などを巡って激しい競争を繰り広げ、6階の「やまと会館ホール」で洋画展や演劇などの開催したりショッピングセンター時代から続いていた洋裁学校(1963年まで)など文化の発信地となっていた。 資金繰りに困って取引先に手形の期日延長を依頼したり、他の小売業者の反対で思い通りに売場面積を拡張できないこともあったが、臨海部の播摩臨海工業地帯に工場が進出するなど高度成長期に人口が急増したことを背景に売上を伸ばし続けた。
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