百貨店の終焉とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 00:21 UTC 版)
「小倉駅前アイム#小倉玉屋(仮店舗)」も参照 2000年12月に小倉そごうが閉店し、後継テナントの誘致が地元経済界の課題となっていたため、大迫忍らが中心となって、小倉玉屋を小倉そごう跡に移転させるよう働きかけが行われた。 そして、リバーウォークの工事スケジュールの関係もあり、2002年(平成14年)2月28日現店舗を閉店。3月1日に田中丸善昌社長は退任し、ゼンリンの浦上博夫専務が社長に就任する役員再編を行い、3月10日小倉そごう跡(セントシティ北九州ビル)に移り、これまでの店舗の総床面積に相当する、地下1階から4階までの一部を使って営業を続けた。 しかしそごう時代からの大規模な改装も行わずに営業していたこともあり、売上げの落ち込みは止まらず、このままでは会社存続が困難になったとして、経営陣は百貨店廃業を決断。小倉そごうの閉店からちょうど2年後の2002年12月25日に、百貨店としての65年の歴史に幕を下ろした。 その後社名を「KTサービス」(KT=小倉玉屋)に改め、ビルメンテナンス業務などを行っていた。また、小倉玉屋友の会は、「前払式特定取引業(友の会)の廃業のお知らせ」を2007年9月1日に公告した。 北九州市役所本庁内に残った地下の「玉屋食堂」の運営は、玉屋グループ会社の玉屋食品が行っている他、小倉競馬場3階に「レストラン玉屋」がある。
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