登場時の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 10:25 UTC 版)
1954年(昭和29年)、モハ701~704・クハ2201~2204の8両が汽車会社・帝國車輛で製造された。後述するような試作要素を満載したモハ704-クハ2203以外は2100形と同様の半鋼製車体であるが、車体長が200mm延び (16.5×2.7m) 前面窓ガラスがHゴム支持になるなどの変化が見られる。通勤車として車内照明に蛍光灯を初めて採用した。 釣り掛け式駆動ではあるが多段制御器・弱め界磁を採用し、それまでの車両と比べて起動・加速が滑らかになった。台車は汽車会社製KS-107を使用。 なお、青電グループの内、多段式制御装置を持つグループはグループ内での併結は可能だがマスコンの違いから200形とは併結できないことから「広義の700系」と呼ばれる場合もある。
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登場時の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 10:08 UTC 版)
1926年(大正15年)、成田延伸に備えてモハ100形101~125の25両が雨宮製作所にて製造された。京成初の半鋼製電車・パンタグラフ装備であったが、前面五枚窓・側面一段下降式窓・トラス棒付きというこの時期の電車としては平凡なスタイルである。屋根は外観上では丸屋根であるが、車内の両サイドは一段下げられ一見すると二段屋根に見えるデザインを採用。両サイドは屋上通風器からの通風ダクトとなっており、車内通風のためこの時期においても他に例のないデザインを採用したと考えられている。 モーター・制御器は東洋電機製造110h.p(約80kw)×4基、台車は住友ST-17(KS-30L)と国産品を採用。空気ブレーキ装置のみ輸入品(ウェスティングハウス・エレクトリック)を装備した。また当時は津田沼を境に架線電圧が直流600 V /1200 V と分かれていたので複電圧装置を装備していた。 1928年(昭和3年)登場のクハ126形は100形の制御車として126~135の10両が製造された。前面スタイルは同じだが屋根が鉄製となり車体長が僅かに延長され、窓配置も微妙に異なる。車内も一般的な丸屋根となった。台車は雨宮製A-1。1936年にモハ20形の電装品利用により全車電装されたが、電装機器の相違(100形はDK系、20形→126形はGE系)によりそれぞれ独立したグループとなった。1941年には131~135の電装が解除された。 以上両形式を100系と、総称する場合もある。
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