登場とその発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:30 UTC 版)
当初登場した20系客車では設計当初より「利用客への騒音防止」の観点というより、荷物列車の一部としての役割(新聞輸送)を担うことから、荷物車として荷物専用スペースを設けたマニ20形が製造された。次期製造車両からは車体長を延ばし荷物室の積載量を増大したカニ21形が標準形として量産された。 20系客車登場時は、運行区間であった山陽本線に非電化区間が存在したため、ディーゼル発電セットを採用し、内燃力発電を行うこととした。この20系客車にはのちに直流電化区間では架線からパンタグラフにより集電し、電動発電機で電力を供給するカニ22形が存在した。この車両は非電化区間用にディーゼル発電機も積載していた関係から、軸重が過大で運用線区が限られたため、のちに電動発電機とパンタグラフを降ろし、カニ21形と共通運用(ただし荷物は3t積)となった。 また、多層建て列車などで20系客車が運用されることになると、分割された片方の編成の電源車が喪失することから、中容量のディーゼル発電セットを積載した簡易電源車と称されるマヤ20形が旧型客車から改造捻出された。 しかし、20系客車を用いた寝台専用列車以外では特急料金と寝台料金を同時に徴収することもできず、編成中のデッドスペースは収益率のさらなる低下を招き、分割先での電源車の確保も支出の増加となる。そこで、臨時列車や団体専用列車に用いられる前提で座席車として製造された12系客車では、比較的小型のディーゼル発電セットを編成端の緩急車に設置し、それを電源車兼用として運用することとなった。この分散電源方式は20系客車の後継車両として設計・製造された14系客車にも採用された。 しかし、1972年(昭和47年)に発生した北陸トンネル火災事故で分散電源方式の危険性が指摘され、問題が解決するまでは旅客を乗せる車両とは別に発電機を搭載する事業用車の運用が決定した。 寝台専用列車に限り、一旦集中電源方式に戻された。これによって車体の基本的な設計は14系客車を元にした24系客車が新規に製造され、在来の14系客車でもディーゼル発電機の防火工事が行われた。 ちなみに製造初期の24系客車ではマヤ24形と形式上職用車として分類されたが、のちに20系客車の代替により荷物列車としての運用があることから、荷物合造車としてカニ24形も製造された。また、分割併合時の電源車として20系のカニ22形を改造編入したカニ25形が製作された。 後年の改造であるが、直流電化区間におけるカニ22形と同様に架線からパンタグラフにより集電し、静止形インバータ (SIV) を使用しての電源供給を行うスハ25形もあった。車両形式は「ハ」となっており、フリースペースである「ロビーカー」として使用した。 また、お召し列車に用いられる460号供奉車もこの範疇に含まれる。これについては、当該項目を参照されたい。
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