カニ21形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:50 UTC 版)
1959年(昭和34年)の2次車から製造された電源荷物車。マニ20形からの変更点を以下に示す。 新聞輸送急増のため全長を20,000 mmに延長し、荷物室を5 t積みに拡大。 機関室にも明かり窓を設置、発電機の騒音対策をさらに強化。 マニ20形での運用実績を反映し、燃料タンク容量がマニ20形の1700リットル2基から1700リットル1基に変更となった。 1960年(昭和35年)・1963年(昭和38年)には後述するカニ22形が製造されたもの、1964年(昭和39年)以降はディーゼル発電機や関連機器を1963年製のカニ22形と仕様を揃えた上で再び本形式が製造されることになり、同年に新設された「はくつる」運用で寒冷地へ入線することから耐寒設備を追加、さらに4以降は「はやぶさ」「富士」といった片道24時間前後の長距離運用を考慮し燃料タンクを1700リットル1基から2基へ変更することとなり、1 - 3と51・52にもタンク増設が行われた。 1970年(昭和45年)6月増備の122 - 124は電源装置の無人運転に対応するため遠隔自動制御装置が装備されており、基本番台の続番+100の車番に区分された。1970年(昭和45年)9月に下関に配備された最終製造車25 - 27には新製時は自動制御化は準備工事とされたが、翌年に装備された。 当初は一部の車両にだけ電源装置の自動制御化の改造を行い改造を行った車両は基本番台の続番+100の車番に区分する予定であったが、試験結果が良好だったため1971年から翌年にかけて全てのカニ21形・マニ20形・カニ22形にも電源装置の自動制御化改造が実施された。その際に改造に伴う改番は実施されなかった。 1 - 21・25 - 27・51・52・122 - 124の29両が製造されたが、18両が後述のカヤ21形に改造された。1985年(昭和60年)に形式消滅。
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