発行開始以降の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
発行後には、久し振りに発行された新紙幣の物珍しさもあって銀行の窓口に両替依頼が殺到したこともあり、当初は広く一般的に利用されると予想されたものの、一時的な流行を過ぎると流通・使用は低調になった。第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)と西暦2000年(平成12年)(ミレニアム)をきっかけに発行されたという面が必要以上に強調されたこともあり、記念紙幣と思い込んだ人々によって相当の枚数が退蔵されることとなった。 2000年(平成12年)秋から翌年12月までは、異例ながら日本銀行本支店の窓口で二千円紙幣への両替を受け付け、大蔵省(現・財務省)や日本銀行の職員に現金で給与を支給する際には二千円紙幣を含めるなど、二千円紙幣の流通量を増やすための努力も始められた。 D二千円券の製造枚数は8億8千万枚となっているが、その内訳は2000年度(平成12年度)に7億7千万枚、2003年度(平成15年度)に1億1千万枚となっている。しかし2004年(平成16年)度以降は製造されておらず、2010年(平成22年)には、大量の二千円紙幣が日銀の金庫に保管されたままの状態になっている。 2004年(平成16年)に他の紙幣が刷新されE号券が発行されるのを機に普及することも期待されたが、それでも浸透するに至らなかった。流通のピークであった2004年(平成16年)頃には、流通枚数で五千円紙幣を上回るほどであったが、わずか3年後の2007年(平成19年)の二千円紙幣流通枚数は約1億5千万枚で、既に発行されていない五百円紙幣(2億2千万枚)よりも少なかった。一方で日本銀行発券局は二千円紙幣の流通促進を訴えている。 なお、二千円紙幣にゆかりの深い沖縄県では盛んに普及キャンペーンが行われたこと、本土復帰以前は20ドル紙幣を含む米ドル紙幣が法定通貨であったこともあり、流通量は上昇傾向にあり他都道府県に比較して多く出回っている。 2019年(平成31年)4月には、2024年(令和6年)発行予定の一万円・五千円・千円の新紙幣への改刷が発表されたが、二千円紙幣は「流通枚数が少ない」との理由で刷新の対象にならなかった。 沖縄県観光振興課が更なる流通促進に本腰を入れており、県民の一人あたりが複数枚を所持して日常的に使用する・県外にも持参して積極的に使用するよう呼び掛けている。企業や団体に対しても二千円紙幣の利用可能なATMの設置を推奨したり、二千円紙幣使用者への特典やサービスを行う試みを促している。2019年(令和元年)10月首里城火災も相俟ってか、県内での流通枚数は増えている。 二千円紙幣には首里城守礼門が印刷されているが、首里城が2019年(令和元年)の火災で正殿等の多くの建物が全焼した(守礼門は城から離れた場所に建っているため無事だった)のを受け、2020年(令和2年)2月、沖縄県銀行協会は、琉球銀行を始めとした沖縄県を拠点とする6銀行で、二千円紙幣の流通額に応じてその0.1%を首里城再建に当てる寄付金制度を始めた。2021年(令和3年)まで受け付けている。
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